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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

近江の文化的景観を往く(Ⅲ)

在原00茅葺き集落01遠景01


在原の茅葺き民家集落
 高島市のマキノ町に在原(ありはら)という茅葺き民家集落がある。「望雁」でカレーを食べて珈琲を飲み終え、マダムに所在地を訊ねたのだが、彼女は右往左往してしまい、代わって馴染みのお客さんが答えてくれた。マキノのスキー場近くにあるらしい。
 そのとき京都新聞滋賀版の1面に「限界集落」の記事を発見したのだ。滋賀県中山間地域高齢化問題研究会の調査によると、65歳以上の高齢者が過半数を占める「限界集落」は県内に44、55歳以上が過半数を占める「準限界集落」が99確認されたという。限界集落の内訳をみると、多賀町(16)、高島市(10)、大津市(5)、余呉町(4)であり、湖北・湖西地域に集中しており、いま歩いている高島市が典型的な過疎地であることを理解できた。

限界集落(京都新聞滋賀) 在原10茅葺き集落02注意書01 在原は予想以上に素晴らしい茅葺き民家集落であった。おそらく茅を露出させている民家が20棟以上、鉄板で茅を覆う民家を含めれば30棟前後が集中して残っている。この保存度からみれば、国の重要伝統的建造物群保存(重伝建)地区に選定されたとしてもまったく不思議ではない。しかし、在原は重伝建地区になっていない。もちろん重要文化的景観保全地区に選定されているわけでもない。おそらく住民が、そういう「制度」に縛られるのを嫌がっているのだろう。そう感じたのは下の看板を発見したからである。「近年、人の出入りが多くなり、集落は迷惑している。だから、かくかくしかじかの点をきちんと守っていただきたい」という注意を呼びかける看板である。ただし、文字がずいぶん剥落しているので、「近年」というのがいつのことなのか、よく分からないのだが・・・

在原03茅葺き3棟01

 それにしても、なにがどうなって、これだけの茅葺き民家が残ってしまったのだろうか。上の看板をみる限り、住民は観光客の来村を望んでいない。重伝建地区に選定されていないのだから、国や自治体からの補助金はでない。とすれば、住民が自ら茅葺きの維持管理を推進していることになる。この場合、いちばんの問題は茅葺き替えの経費だ。ひょっとすると、在原ではススキを自給自足して材料費をゼロとし、茅の葺き替えを結(ゆい)のような惣事として今でもおこなっているのかもしれない。じっさい、空家のようにみえる民家の茅葺き屋根が新装されていた。
 ふと神護のことを思い起こした。すでに神護では、大規模な開発により茅葺き民家を取り壊してしまったが、数年前まで茅を露出した民家がよく残っていた。なぜ茅葺き民家がよく残っていたのかと言えば、殿ダム開発と関わる複雑な利権が絡んでいたからだ。ここだけの秘密にしておいて欲しいのだけど、当時の神護は、砂防指定のなされている神護川をあえて付け替えることにより、故意に民家を破壊して賠償金をばらまくという自民党的政治の舞台になっていた。われわれの税金が、ああして一部の土建屋や不動産所有者にばらまかれている。県民はもっと怒らなきゃいけません!
 当時の神護では、上の事情もあり、「一部の住民」は観光客の訪問を毛嫌いしていた。観光客を煙たがるという点において、神護と在原は共通しているが、在原でまさか神護のような暴力的開発が突発的におこることはないだろう。いまの知事は、そこまで愚かではないはずだ(あのころの鳥取県知事も愚かではなかったのだが)。

在原02茅葺きたて03
↑茅を葺き替えたばかりの民家。空家かも??


在原12茅葺き01雪除け03複合

 村の主婦に少しだけ話を聞いた。豪雪地帯なのだという。時によっては3mも積もるというから、根雪の高さは軒をゆうに超える。よくみると、屋根は急勾配で、軒の出は短い。軒から斜め手前に雪除けの壁を立てかける民家も少なくない。ただ、世帯数はそこそこあって、限界集落化していると感じるほど人影が少ないわけでもなかった。限界集落化しているならば、これだけの数の茅葺き民家を村人だけで維持するのは不可能であろう。
 くりかえすけれども、在原は民家集落として重伝建地区の価値を十分もっている。板井原を重伝建地区にしたい方がたは白川郷や大内宿を訪れるまでもなく、在原の景観をみれば彼我の差を十分実感できるであろう。板井原の景観を保全し活用するためには、「伝建」の制度では駄目だということを遅まきながらでも自覚していただきたい。
 一方、在原は重伝建地区としての価値は十分あるし、重要文化的景観保全地区としてもまた価値がある。民家・集落だけでなく、南にひろがる棚田、集落背後の里山も文化的景観の対象となるから、やろうと思えば、ひろい範囲の景観保全が可能となるだろう。こうしてみると、近江は「文化的景観」の宝庫なのだとつくづく思う。
 再び板井原に戻るならば、「重伝建」は駄目でも、「重要文化的景観」の制度は十分活用できる。というか、おそらく「文化的景観」以外に板井原を救う途はないように思うのだが、学生の書いたシンポジウムのレポートを読む限り、シンポの主催者にはそのイメージが欠落しているようだ。だって、もしそういう意識があるのならば、招聘者のカテゴリーがもう少し変わっていなければおかしいからである。いったいいつまで「伝建」の担当者に頼るつもりなのだろうか。あれだけ痛いめにあっておきながら。

在原00茅葺き集落01遠景02


 
  1. 2008/08/03(日) 00:48:11|
  2. 環境|
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