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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

小鹿渓の風景と集落

三朝町の限界集落を訪ねて

 8月5日(火)。晴れ時々くもり、午前11時半、教授宅集合。まもなく、3台の車に分乗し、わたしたちは三朝に向かった。メンバーは教授のほか、某准教授、某助教、ホカノさん、ノビタさん、部長さん、黒帯くん、ガードくん、Mくん、そして私ヒラです。・・・意外に大人数。
 12時半、三朝町役場到着。まもなく、県教委のハマダバダ1号さんがあらわれました。まずは、役場のロビーで資料をいただき、本日訪れる小鹿渓地域の概要をハマダバダさんからご説明いただいた。そして、小鹿渓のいちばん奥に位置する集落「中津」へ出発。
 最初のチェックポイントは「神倉(かんのくら)」。倉は「坐(くら)」という意味を持っているそうで、集落の平面にそそりたつ冠巌(かんむりいわ)が神が降臨し坐す場所だというのが地名の意味だろう、といわれています。
 次のチェックポイントは「丹戸」集落。ここは名勝に指定されている「小鹿渓」の入口にある集落です。鉄板に覆われていますが、茅葺き民家が数棟残っています。冬には2mも雪が積もるそうで、豪雪地帯であるからでしょうか、軒を高くしています。厳密にいうと、小壁を長くとって軒を高くしているのです。民家の戸数は多くはありませんが、あちこちで作業風景がみられ、この集落が持つ生活感が伝わってきました。

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 そして目的地、「中津」集落に到着。ここは平家の落人集落だとの伝承があり、実際、「安徳天皇陵」(←)があるのには驚きました。ちなみに近くの俵原という集落は源氏の集落だとの伝説もあり、中津と俵原では婚姻を禁じてきたそうです。ハマダバダさんのお話によると、中津は昭和30年に34世帯、人口172人という記録が残っており、平成2年に9世帯、人口21人まで減ってしまったようですが、現在ではさらに過疎が進み、おそらく5・6世帯のみとのことです。「65歳以上の人口が過半数を占める」という定義に従うならば、中津は典型的な「限界集落」とみなせるでしょう。集落では、トタンと茅がパッチワーク状態になった屋根の民家もあれば、骨組を露出させた民家、崩壊したも民家などがあり、さらにはすでに民家は消えて雑草が生い茂る旧宅地がひろい範囲にひろがっています。

  「住むことこそが家の一番の保存方法。」

ふとそんな言葉を思い出しました。
 さて、集落をぞろぞろと散策し、最後に三朝から来ていた小学生たちのキャンプ地(旧小学校分校グラウンド)の脇道の草をかき分けて入ったところで木製の鳥居を発見しました。奥に拝殿がみえます。正面からみる風情はなかなかのものでした。そこで、ガードくんが鈴をガラガラと鳴らしてなにやらお祈りしたりして・・・

・・・ところが、裏へまわってビックリ。ほ、本殿はいずこ?!
なっ、なんと拝殿の裏には、本殿の礎石 の・み ありました。ご本殿はどこに行ってしまったのでしょうか??

中津写真【左:冠巌、右上:パッチワーク屋根、右下:消えた本殿】

 教授は、これまで本殿のなくなった神社をみたことがない、と驚嘆されていました。集落の人びとにとって、神社の本殿は心のよりどころですから、それがない、ということの意味は計り知れないでしょうね。この一ヶ所の風景がなにもかもを凝縮させているようにみえたのは、わたしだけでしょうか。(ヒラ)



小鹿渓をあるく

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 三朝町の中津集落を見学したあと、車を反転させ、小鹿渓(おしかけい)に向かいました。小鹿渓は昭和12年に国の「名勝」に指定された長さ約3kmの渓谷です。小鹿川の中津集落から丹戸集落の間が名勝になっています。中津集落から小鹿川沿いの細い道をくねくねと下り、遊歩道の近くで駐車してハマダバダさんに案内していただき、いざ小鹿渓へ。看板には「奇岩と清流の名勝」とありました。
 川に下りてまず目に入ったのは滝と大きな淵。近くの看板を見ると「神縄の滝」「雄淵」とありました。勢いよく流れ落ちる水が、大きくて深い淵に吸い込まれる様は、迫力満点! 雄淵の水辺の岩に下りると水がきれいで透明なのに、底が見えないくらい深いということに気付き、これは落ちたら危ないなぁと思いました。岩には苔が生えていたので、つるっと滑ったら・・・。内心ひやひやしながら慎重に岩の上を移動しました。でも、一部の男子は淵で泳ぎたそうにしていました。少なくとも、赤波川のように水に足をつけたいところですが、なにぶん深いので、手を水につけるのが精一杯。そういえば、深い淵には岩魚か山女魚らしい魚影もみえました。
 川沿いの遊歩道を下流に向かって歩くと、途中で大きな蜂の巣が!!どうやらスズメバチの巣のようで、急いで通り過ぎました。そこからもう少し下ると、今度は先ほどより小さめの淵が見えてきました。名前は「雌淵」。こちらも滝が注ぎ込んでいますが、高さも低く、優しい印象を受ける滝でした。淵の下流にはアシのような植物が生えていて、緑に囲まれてキレイな淵だと思いました。もう少し下ると大きな岩がごろごろと転がっているところにたどり着きました。時間の関係もあり、今日はここまででUターンです。

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 小鹿渓の全体的な印象は、丸くて可愛いサイズの岩があって、流れも緩やかなところが多いということです。しかし、ところどころに大きな岩があったり、滝があったり、大きな淵があったりと、当たり前だけれどもいろんな表情を持っています。まだ小鹿渓の全部を見たわけではないけれども、見どころいっぱいな渓流だと感じました。今日は清流と岩と緑のなかで、さわやかな気持ちでいっぱいになり、水環境の魅力を改めて感じました。(部長)

三徳山から倉吉へ

 小鹿渓をあとにし、茅葺きの辻堂がある吉田という集落へ移動した。辻堂をみるのは、2005年の佐治以来である。辻堂はT字路に面した三間堂で、三朝町の指定文化財に指定されている。年代は判定し難いが、教授によれば、仏壇まわりのケヤキ柱にのる虹梁の絵様からみて幕末~明治初期の可能性があるという。

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 三徳山の視察は吉田集落で終わり。某准教授と某助教が大学に戻られた。残るゼミメンバー8名は倉吉に向かった。まず、久しぶりに堂計画室を訪問し、建築家Iさん『若桜町まち並み整備調査報告書』を1冊いただいた。残部僅少というのに、こころよくご提供くださりまことにありがたい限りです。この報告書がなぜ必要かは、8月7日(金)に若桜探索にでかけるので、そのブログであかしたい。

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 それから、Iさんとともに、倉吉市東岩倉町の旧牧田家住宅を訪れた。旧牧田家住宅は倉吉市最古の町家といわれている。長らく空き家であったために傷みがひどく、いまは修復工事が行なわれている。修復工事の請負は加藤家住宅の修復工事でお世話になった池田住建さん。工事は軸組部分が終っており、内装工事に着手して、建具をはめる直前まできている。旧牧田家住宅では、倉吉市教育委員会文化財課のみなさんや、昨年から町並み調査を受けついだ東京芸術大学のグループの方も集い、楽しげな会話で賑わった。

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 最後に、いつものコースで、打吹玉川重要伝統的建造物群保存地区のサダルチョークへ。サダルチョークの改修はIさんの設計で、ここでよくお茶をする。この日は、Iさんが「重伝建地区の住宅におけるソーラーパネルの導入」についての話題をだされたので、教授はよい機会だと判断され、参加したゼミ生一人ひとりに意見を聞かれた。さらに、そこから派生して「大型風力発電と景観」についても議論を交わした。「景観」と「環境」の矛盾について、良いヒントを得ることができたと思う。(ホカノ)



 *すべての写真はクリックすると大きく表示されます。

 
  1. 2008/08/07(木) 00:15:25|
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