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Lablog

鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

お久しぶりです、ノビタです。

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 今回は僕がLablogを書きます。

 なんたって、鳥取城のことなんだから。

門の発掘01
 8月6日(火)。教授と某院生と僕で鳥取城跡の発掘調査現場へ向かいました。案内していただいたのは、鳥取市教育委員会文化財課のSさんとHさんです。Hさんは、以前のブログでも紹介されているように、僕の小学校の先輩です。
 まず最初は、鳥取西高校近くの「太鼓御門」の発掘調査現場を案内していただきました。
 太鼓御門は鳥取城の大手通りにある門で、名前は門の上に時を知らせる太鼓を置いたことに由来します。太鼓御門の現場では、門の礎石を据えるための根石が、断面で検出されていました。江戸時代に起こった石黒火事の後の造成土を切り込んでいます。その造成土をパックするように、凝灰岩の石敷と長方形の礎石が出土しており、石敷の正面には基壇の縁石に相当する石列もみつかっています。これは、明治以降の鳥取一中(現鳥取西高)に関わる施設の遺構と推定されます。鳥取城跡では、幕末期の姿に整備復元することを基本方針とするそうですが、幕末と明治の面を見分けるのは大変に難しいとのことです。ですから、上の凝灰岩石敷も当初は幕末のもので、それを明治以降にも継承した可能性があります。

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 次は天球丸です。僕の卒論のテーマとなった場所で、久々の訪問でした。当時はほぼ解体されていた左翼部分も今ではほぼもとの通りに直されて勇壮な姿を取り戻しています。今回ご案内いただいたのは、天球丸で発見された石垣の奥から新たに発見された石垣でした。僕の卒論では、当時発見された下層の石垣が光政期、上層の石垣が光仲期としています。その後の調査研究で、下層が宮部期、上層が長吉期ではないかとも言われていましたが、今回発見された石垣を観察すると、隅石に長吉期に特有な加工痕がみとめられること、上層石垣と下層石垣の間に工程差をあらわす薄い土層が確認されることなどから、下層が長吉期、上層が光政期以降ではないかという新しい見解を得るに至ったようです。この件は金曜日に記者発表するそうですが、教授はトレンチの面積が小さすぎるので、結論を得るには、もう少しひろい範囲での発掘調査が必要だとコメントされていました。

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 久々に鳥取城を訪れて大変嬉しかったです。いやあ、お城ってホントにいいもんですね。それではまた。(ノビタ)

天球丸

 *天球丸の上層と下層の年代観に関するノビタ説は、こちらの報告書に掲載されております。頒布可能です。


  1. 2008/08/08(金) 00:08:54|
  2. 史跡|
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