
お昼ごはんを食べた後、若桜の町並みを見学しました。最初に若桜駅前に出て、手動の機関車転車台の上にのっていた蒸気機関車を見ました。若桜駅は『鳥取県の近代化遺産』に掲載されており、若桜鉄道は登録文化財になっています。最近整備計画が進んでいるようですが、見学に入場料が必要ということで、ちょっと全員、腰が引けてしまいました。少し前まで、プロ研などでは駅の待合い室を利用していたりしたそうです。先生によると、手動の転車台は珍しいそうです。朝早く着いたときにちょうど機関車が転車台の上に乗って、3人でまわしているところを見ました。初めて見たので、「たった3人でまわせるのか!」とびっくりしました。

若桜駅を後にして、寺通り/蔵通りを歩きました。その入口で、おじさんが蔵に沿う水路から柄杓の大きくなったような道具を使って水を汲み、道路に打ち水をしていました。灼熱の小路に一瞬、冷気がひろがります。家の前に水路があるお宅の玄関先には、同じような道具がおいてあることが多く、水路の水をおじいさんと同じように使う習慣があるのかなと思いました。寺側では2ヶ所ほど板塀で修景して、内側の壊れかけの建物を隠したりしていました。蔵側でも土蔵の外観の修景が進んでいました。先日、倉吉でお世話になった堂計画室のIさんは、若桜の町並み報告書を作られた方ですが、補助金制度があるにも拘わらず、土蔵の所有者が自力で土蔵を修景をしているそうです。

若桜宿は鬼ヶ城とともに整備された中世末の城下町に起源し、いまでもその骨組が残っていますが、建造物は明治期の度重なる火災により焼失してしまいました。それでも、明治中期以降の町家・土蔵・寺院をよく残し、江戸時代の宿場町の風情を感じ取れます。重要伝統的建造物群保存地区に選定されている倉吉でも、江戸時代の建物はほんのわずかで(江戸時代には茅葺きが多かったようです)、大半の建物は明治期のものですから、若桜の町並みが倉吉に劣るということは決してありません。
そこから、本通りに出ました。本通りはカリヤ通りともいい、「県民の建物100選」に選ばれています。カリヤとは1.2メートルほど道路に張り出した町家の庇のことで、何度も大火の被害にあい、防火のために家を道路からセットバックさせたことに因む呼称といわれています。カリヤとは「借り屋」からきているそうです。


しばらく歩き詰めだった一行は、ちょっと休憩。カリヤの前を流れる水路の清流に足をつけて、涼を得ました。準備万端でサンダルだったノビタさん、さすがです。先生とMくんは靴下を脱いで、足を冷やしていました。先生はこの日も朝から、「生まれてくるんじゃなかった・・・」を連発されていましたが、足を水につけた瞬間、「生まれてきて良かった」といういつものギャグ。可哀想だから、笑ってあげました。
街中を歩いていて気付いたのは、水路がたくさんあって、しかも全部同じ方向に(山と平行に)清水が強い勢いで流れていることでした。左の写真は昨日Mくんが報告していた旧「内堀」らしき水路です。水の量も多くて、涼しげでいい街だなぁ・・・と思いました。(部長)
- 2008/08/10(日) 00:46:59|
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