神保町の夕暮れ
そもそも、これは私に来た話ではなかった。この時期に4年生がインターンシップに行くのは珍しい。卒論を控え、私の場合、見寺コンペも控えている。はっきり言って、欲張りだったと思う。インターンシップとは、就職活動を来年に控えた3年生が企業とはどのようなところかを実習を通して知る為のものであり、最近では2年生の参加も少なくない。時間の余裕はなかった。しかし私は知りたかったのである。私の進みたい世界は一体どのようなもので、どのような考えで、何をしているのか。その最先端に触れてみたかったのだ。
現在、文化財保存計画協会は東京都内全域の
近代和風建築の調査を委託されており、インターンシップ最終日を控えた3日間は足立区の近代和風建築の調査をおこなった。足立区は、江戸時代の五道の1つである日光街道が南北に通っており、江戸から真直ぐ日光を結んでいた。千住・草加など23宿があったとされており、街道沿いは宿場町として栄えていた。しかしながら東京大空襲の被害により当時の様子を残す建物は少ない。現在は、日光街道跡に商店街が軒並みをそろえている。
まずは調査の下調べである。調査前日に足立区から提供していただいた近代和風建築のリストをもとに、「グーグルマップ」を利用して所在地を調べる。また航空写真だけでなく、先週よりサービスが始まった、パソコン上で街を実際に歩いているかのような映像である「ストリートビュー」をもとに、調査対象建築をざっと探した。とはいえ、恥ずかしながら私は近代和風建築については全く知識がない。明治から昭和20年代の建築が対象といわれても全く年代識別が出来ないのだ。準備が終了した後、ミーティングで調査担当のOさんから簡単に近代和風建築について教えていただいたが、言葉では簡単そうに聞こえるが、実際は複雑であった。

調査当日、Oさん、狩人、私の3人で、北千住駅から日光街道を北上し商店街内にある近代和風建築を探した。午前中はOさんのレクチャーを受けながら調査をし、目で見ながら近代和風建築を理解するようにつとめた。やはり街道沿いはほとんど新しい建物に変わっており、対象建築はなかなか見つからない。しかし街道を数キロ歩いて商店街を抜けると、一変して住宅街がひろがる。そのなかにちらほら古そうな民家や町屋、土蔵を発見することが出来た。この日は午前中から日差しが強く、文字通り滝のような汗が皆の額から流れる。こうしているとモリさんの倉吉の看板建築調査を思い出す。あの日も地図を片手にシラミつぶしに伝建地区周辺の看板建築を探した。しかし、今回は棟数も範囲も桁違いであった。何せ足立区は広い。東西に約10キロ、南北に約10キロ広がっており、徒歩で探すのには限界がある。
そこで、午後から狩人と私は別行動で動き、荒川を境に北側を狩人、南側を私が担当した。南側は範囲は狭いが古地図を見ると日光街道沿いに街道が発展していたことから、対象建築物が多いと睨んだ。北側は範囲は広いため、今回は環状7号線周辺までに限定して調査した。南側は古くからある店の土蔵や町屋、住宅が点在しておりそれらは路地に集中している。一歩踏み込めはノスタルジックな世界なのだが、迷路のような道に住宅地図を持って歩いていても時々現在地を失う。そうして足立区を練り歩き、気がつけば夕暮れ。本日歩き回った成果は2人合わせて99棟に達した。
最終日は調査記録をもとにエクセルにデータを書き込んでいく作業をした。作業をしながらこの2週間を振り返った。確かに、このインターンシップは欲張りだった。しかし、社長や社員の方々にとてもよくしていただき、数々の貴重な体験とともに、たくさんの話を聞かせてもらった。ありがたいことに見寺のヒントもいくつかいただいた。
当初の目的であった、私の進みたい世界は一体どのようなもので、どのような考えをしており、何をしているのか。その最先端に触れるだけではなく、今後どのようにこの業界に接するか、様々なアプローチや必要とされる回り道もあることも知った。
作業中に会社の事務関係の仕事をしているIさんが話してくださった、「『好き』なのは大切なことだが『好き』だけでは何も始まらない」。私はきっとまだ『好き』の段階なのだろう。いつか自分も胸をはってシャンと立てるようになったら、この業界への第一歩を踏みしめたいと思う。(Mr.エアポート)
- 2008/08/18(月) 00:19:33|
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