みなさん、17日ぶりに鳥取に帰ってきましたよ。今日は早くも入試でしてね。まぁまぁのスタートを切っております、学科も、大学も。
昨日までは「けんびき」症状に悩み、2日連続ホームドクターに診てもらいました。オホーツクからハノイにワープするような旅を続けてきたわけだから、疲れもたまるわね。それよりなにより、諸悪の根源は某出版社からの原稿の催促であります。縄文の校正(大直し)と図版揃えをようやく終えたと思ったら、
「で、弥生の原稿はいついただけますか?」
だって。少しは休ませろってんだ!!
じつは、わたしはベトナム滞在中、正式に「
辞退」を申し出たんですよ。「縄文も弥生も辞退したい」とお願いしたの。その返信は「必死の慰留」でして、「じつはまだ原稿の集まり具合は7割程度ですので、猶予があります」なんて書きながら、縄文を仕上げた瞬間に「弥生はいつ?」だかんね。
こういう編集者では書く気にならんわ。そもそも考古系の文章ってのは書いてて楽しくないんだ(薬研堀慕情は楽しかったな!)。で、週明けにはもう一つ催促がくるんですよ。それもまた弥生で、そのあともう一つ弥生がある。あぁぁぁぁ、生まれてくるんじゃなかった・・・・おれは弥生のために生まれてきたんじゃないぞ。
弥生のことは、ハマダバダが書けばいいんだ。やつは弥生しか書けないんだから、弥生だけ書けばいいのであって、わたしのように他に書くものがいろいろ溜まっている人間は他の原稿に専念させとくれ・・・
さてさて、愚痴もいい加減にしておいて、17日間も留守をしていたもので、郵便物はたんとたまっておりました。郵便物の処理に昨夜は時間を費やしましたが、そのなかに二つの学位請求論文が含まれています。一つは『水上人と呼ばれる人々-広東珠江デルタの漢族エスニシティとその変容-』、もう一つは『アイヌ文化成立期から近世期末におけるアイヌ民族の建築に関する研究』という論文。本ブログの熱心な愛読者なら前者の執筆がどなたかおわかりでしょうね。ヒントはわたしの学生だったことがある人で、ここ3年ばかり続けているハロン湾水上集落の調査研究とも間接的に係わっている方です。
後者の執筆者とは面識がありません。ただ、まったくつながりがないか、といえば、そうでもない。研究者同士は、赤い糸、じゃなかった、細い糸で結ばれてますからね。それにしても、この論文は絶妙のタイミングで送られてきたというほかありません。なんたって、今年度はオホーツク文化住居の基本設計を委託されており、当然のことながら、北海道アイヌの住居を避けて通れるはずはないからです。建築物や絵画資料だけでなく、近世アイヌ住居の発掘調査遺構についても1章を割いており、後期の復元設計におおいに貢献してくれるでしょう。
さっそくお二人には御礼のメールを送信しました。ここで、もういちど感謝もうしあげます。ありがとうございました!
こうして若い世代がどんどん新しい研究を発表してくれると、わたしたちにも刺激になりますね。正直、「研究なんか、もうや~めた」と捨鉢になることもしばしばありますけれども、まぁしばらくふんばらないといけません。
でも、頭をよぎるよな、老子の言葉が・・・「学を絶てば憂いなし」。
- 2008/09/15(月) 00:26:57|
- 文化史・民族学|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0