飛石連休の最終日(23日)、子どもたちは家にいなかった。夕食はお好み焼き。鉄板の隙間を利用して、ピーマンとイカダ(白葱)も焼いた。そう言えば、
デブのためにゲソも焼いてやった。そうこうしているうちに、バレーボールの練習を終えた娘が帰ってきた。「そのネギ食べたい」と言って、イカダとお好み焼きにむしゃぶりつく。
報道ステーションが始まるころ、電話が鳴った。兄嫁からだった。母がまた倒れた、という。兄は中国に出張している。動かない母を救急車で病院に連れていくが、父を観るものがいない、と言ってうろたえ困り果てていた。わたしたちはただちに家をでた。バイト先まで行って息子を連れ出し、一家四人で一路西行。運転手は娘。深夜0時、兄の家に着いた。父はひとりソファに坐っている。母のことが心配で、眠れないようだ。家内と娘を父の世話役に残し、こんどはわたしが運転して息子とともに10キロばかり離れた病院へ向かう。病院に着くと、兄嫁と1階でばったり。母は熟睡していた。安定剤(軽い睡眠薬)を飲み過ぎてしまったらしい。MRIの結果は、「やや白い影が脳の外側にみえる」とのことだが、おそらく以前確認された脳梗塞の映像だろう。
いったん兄の家に戻り、しばらく話をして、奈良への帰途についた。車中、「一眠りしたあと、中国縦貫道をとんぼ返りで鳥取に向かわなければいけない。大学が始まるから。途中、もちろん、おばあちゃんを見舞う」なんて話をしていたら、助手席で眠そうにしている息子が囁いた。
「初任給が入ったから、ごちそうしたいんやけど・・・」
初任給とは、バイトの初任給である。息子は大学最初の夏休みに居酒屋でバイトし、その給料をもらって、よほど嬉しかったのだろう。家族みんなに昼食をごちそうしたい、と提案し、家族を驚かせた。
翌日の昼、4人で「
ペパーミント」に行った。全員が日替わりランチを注文。楽しい昼食会で、親として嬉しくないはずはなく、このことは必ずブログに書こう、と決めた。
この日は、わたし一人が西に向かった。夕方、病院に着いた。主治医にお話を伺いたいと願いでたのだが、アポをとっているわけではなく、面談することは叶わなかった。担当の看護師さんから、少しだけ事情をうかがった。
母は熟睡していた。わたしは売店で買い物をしたり、車にパソコンを取りにいったりして時間を潰した。病室に戻ると、母は看護師さんとリハビリをしている。手に力が入っていない。母は、わたしが側にいることを知らない。しばらくして、声をかけた。
彼女は覚醒し、わたしを視野に納めた。二人になって、母はぼつぼつ話を始めた。彼女が何を話したのかはもちろん言えないが、その話は初任給ランチの喜びを打ち消すほどの衝撃をわたしに与えた。戸倉峠はいつにも増して暗かった。
- 2008/09/28(日) 00:43:03|
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