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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

居住の技術 -弥生時代(Ⅴ)

妻木山43号08周堤01松尾頭02縮小

 
周堤の意味
 
 遺構から建物を復元するにあたって、まず最初になすべき作業は地形の復元である。発掘調査で遺構を検出する面は先史・古代の人びとが生活した地面ではない。大半の場合、旧地表面は後世の整地などによって削りとられており、遺構があらわれる検出面は旧地表面より20~50センチばかり低いレベルにあるのが一般的である。これをもとの地形に戻す作業は容易ではないけれども、発掘調査を担当した考古学者と共同で旧地形を復元的に再現しておかなければならない。とりわけ竪穴住居の場合、旧地表面の掘削により、竪穴が浅めに検出されるので、当初の深さを執拗に検討しておく必要がある。

 妻木山43号11復元の基本02縮小 童子山地形s クズマ模型1-1s

 竪穴周囲の旧地表面には周堤がめぐる。一般の竪穴住居跡では、周堤の痕跡をとどめる遺構は少ない。後述するように、竪穴の掘削土は周堤土として使われるものと思われるが、住居廃棄後は再び竪穴に埋め戻される。ただし、周堤溝がしばしば発見される。周堤の外側にあって雨水や地中の水分を溜めて排水する溝で、地面に傾斜がある場合、馬蹄形を呈する。周堤が立体的に姿をとどめるケースは例外的であるけれども、上の写真(↑)にみるように、妻木晩田遺跡の洞ノ原地区では大型円形住居の一つに、幅3~5m、高さ30~50㎝の周堤が残っていた。この住居の周堤に、垂木やサスなどの斜材を掘りこんで埋めた痕跡はまったくみとめられない。これは、竪穴の周辺に小屋組を組んでから、その木組の裾を土で固めたことを示すものである。都出比呂志が指摘したように、竪穴の掘削土と周堤の土はほぼ同量と推算できるが、掘削土をそのまま周堤として竪穴の周囲にもりあげたのではなく、掘削土はいったん穴から離れた位置にとりおいておき、まず竪穴を覆う木組を組んで、その後、木組の裾に土を練りつけるようにして周堤を盛り上げ、固めていったとみるべきであろう。
 参考までにのべておくと、これは、古代中国建築における「暗礎」の手法とよく似ている。暗礎の場合、基壇を築成する中途段階で、礎石を配し、柱を立てる。柱を立てた状態で、基壇の版築を続けていくのである。こうすると、基壇上面に柱自体の痕跡は残るけれども、その掘形の痕跡は存在しえない。この基壇と暗礎の関係が、竪穴住居における周堤と斜材の関係に近いとわたしは考えている。

 なお、大阪の八尾南遺跡では、ほぼ完全な姿で周堤が出土した。そして、垂木の掘形痕跡が周堤上にみつからない一方で、周堤の一部外側に凸凹状の遺構を発見したことから、その凸凹遺構を垂木の接地痕跡と判断して、周堤の外側に垂木を接地させる復元案を想定している。これについては、以前批判したように、とても支持できない。上に示した木組の基礎としての周堤の意味がまったく失われてしまい、周堤の機能そのものが不明なアイデアであって、建築学の常識を無視し、遺構の出土状況を過度に尊重した解釈である。その過度に重視された凸凹の小ピットは、周堤まわり全域で確認されているわけでもなく、垂木の接地痕跡とみるには無理があるだろう。一方、群馬県の黒井峯遺跡(5世紀)では、火災流に押し倒された垂木が周堤からはねあがった痕跡が明瞭に残っている。垂木材が周堤の内部に納まっていた証拠である。

妻木山43号10模型作り01ラフ02縮小
 ↑ラフ模型(妻木晩田遺跡SI-43、以下すべてSI-43の復元模型もしくは復元図)


復元のプロセス

妻木山43号10模型作り02正式02縮小 さて、上屋構造の復元であるが、以上の前提のもとに、まずは1/20スケールのラフ模型を制作する。竪穴住居は設計図のない時代に、現場あわせで築かれた建築物であり、復元にあたっても、いきなり断面図や平面図を作成するのは不可能であって、まずはラフ模型を作って、手探りで構造を模索するしかない。これは古代の現場あわせにあたる作業と言えよう。この作業は、結構、手間がかかる。1回や2回の模型制作ではなかなか良いバランスをもつ構造を再現することはできない。
 まず地形を復元し、周堤部分も粘土で作っておく。そして、竪穴住居跡の床面部分に1/20スケールの遺構図を貼り付け、その柱穴位置に柱を立ててみる。柱の高さは基本的に弥生人の身体寸法をベースとして検討する。たとえば、梁・桁は「頭がぶつからない程度の高さ」あるいは「両手でもちあげられる高さ」などを基準として設定する。一方、サスや垂木は茅葺きの基準勾配である45°(10/10)を標準として、8/10~11/10ぐらいの勾配を何例か設定し、斜材の下端を粘土に突き刺していく。こうして、柱高と屋根勾配を微妙に変化させながら、小屋組全体の納まりがよいと思えるまで模型作りを繰り返す。
 ラフ模型によって建物の構造がとりあえず定まったという段階で、作図に移行する。ラフ模型では、割り箸や焼き鳥の串など安価な材を使う場合が多く、スケール感がまちまちなので、作図してみると、納まりが悪いこともしばしばある。そこで、図面を修正する。この段階では、図面上の微修正を徹底させる。図面としての復元を完成させ、最後に、その図面に即して、もういちど模型を作る。ラフ模型は復元図制作のための手段にすぎないが、最終模型は復元案の最終形であり、鑑賞にたえるレベルに創りあげたい。(続)

 妻木山43号12復原図01断面02縮小 妻木山43号12復原図02平面02縮小 妻木山43号12復原図03パース02縮小


  1. 2008/10/08(水) 15:57:53|
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