本年11月11日 父、市太郎が白寿の大往生を遂げました。父は明治末年に神戸で生まれ、神戸一中から神戸高等工業学校(神戸大学工学部の前身)に進学して土木工学を学びました。戦前には測量士として全国をまわっておりましたが、太平洋戦争の徴兵で満州に出兵し、シベリアに抑留されました。抑留中に父の先妻が亡くなり、父は疎開先の鳥取で教師として人生を仕切りなおします。そこで、同じ職にあったわたしの母と出会い再婚したのです。わたしは父が47歳のときの子です。わたしは父にとって孫のような存在で、それは、それは可愛がられました。
不思議なもので、父が亡くなってから、わたしは父ととともに暮らすようになりました。家を出るとき必ず線香を焚き、帰宅してまた線香に火をつけます。線香を焚き、分骨された骨壷にむかって合掌しつつ「おじいさん、行ってくるよ」「おじいさん、帰ってきたよ」と話しかけるのです。それが、ごくごく自然な日課になってしまいました。ときどき、オバケになった父が部屋にあらわれるような気もするのですが、あらわれてくれたなら、それも一興で、楽しく話がしたいものだ、と思っています。
皆様には余計な話でした。
旧年中賜りましたご厚情を深く感謝いたしますとともに皆様には時節柄一層のご自愛のほどお祈り申し上げます。

平成20年12月1日 浅川 滋男
- 2008/12/01(月) 15:44:59|
- 未分類|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0