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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

陰陽五行の松

 こんにちは、環境デザイン学科2年生のTO.YOです。2008年11月17日に訪れた鳥取県中部の名建築のうち、私は尾崎家住宅の主に庭園についてレポートを書きたいと思います。尾崎家は、国指定名勝「松圃園」をもつ大邸宅で、もともと非公開の建物とお庭ですが、尾崎さんご夫妻のご好意により見学させていただきました。ご主人、奥様、本当にありがとうございます!

 東伯郡湯梨浜町に構える尾崎家の建造物は、江戸中期もしくはそれ以降に建てられたとされ、「松圃園」も江戸中期(18世紀中頃)の作庭と推定されています。
 松圃園は、先にも紹介した通り、昭和12年に国の名勝に指定された高名な庭園です。25坪の池を中心として、総面積は約132坪あり、植栽にはクロマツ、モッコク、ソテツ、ツバキなど、30種類以上の樹木が使われています。庭園については、ご主人自らお話ししていただきました。ありがとうございます。松圃園は「池泉鑑賞式」と呼ばれるお庭です。「池泉鑑賞」式庭園は、歩いて観て回る庭ではなく、座敷の縁側など外側から鑑賞することを念頭に作られた庭のことをいうようです。私達も主屋の縁側から庭を見せていただいたのですが、とても心が和まされ、いつもと時間の流れが違うような不思議な感覚を受けました。池は鶴が羽ばたく姿を模している「鶴池」で、右端が鶴の頭で、細くなっている部分が首、そこから左へ続いていく部分が翼を象っています。また、鶴池には、亀島が浮かんでいます。

 1-尾崎家母屋 2-庭園1 3-亀島
【画像 1-尾崎家母屋】     【画像 2-庭園】         【画像 3-亀島】
 
 亀島も、亀の頭や尻尾の形に似た石があしらわれており、島全体で形を表現しています。鶴と亀は昔から吉祥の象徴とされ、日本庭園にはよく鶴島と亀島が見られますが、この庭園では「鶴池」と「亀島」になっています。鶴池の上に亀島が浮かんでいる、という風景がとても優美でした。
 続いて、植栽についてです。写真にも映っていますが、松の樹が特に印象的に植えられています。これらの松には名前が付けられています。「月の出の松」はもともとお庭の入口から見ると、月と重なるよう計算して植えられていたため、この名前となりました。今ではお庭を囲うための土塀を作るために違う位置に移植されているのですが、この松がこの庭園の中心となる松だそうです。次に、「袖上の松」。これは、庭園の外側からの写真になりますが、入口の袖に植えられており、お客様を出迎えるように植えられています。亀島に植えられている松は「相生の松」。ここに生えている2本の木は、互いに別の方向に曲がっていくように植えられているそうです。
 そして私が最も興味を引かれたのが、縁の正面にある「来迎の松」と呼ばれる尾崎家秘伝の松です。この松では、枝と幹によって易の思想「陰陽五行(五行=木、火、土、金、水)」が表現されています。五行の「木」「火」「土」「金」「水」の5文字が表されているのです。

 4-袖上の松 5-陰陽五行の松
【画像 4-袖上の松】     【画像 5-陰陽五行の松】

 木・火・土・金・水と枝振りの関係は、ひと目見ただけでは容易には班別できませんでした。そこで、いくつかの写真を検証して、私なりの解釈を写真で示したいと思います。
 木、土、などは縁から見て取れるように示され、逆に火・金・水は、上から見て取れるような奥行きがあるのではないかと考えました。今回、縁から撮った写真のみで検証したため、写真では見えていない枝もあるかと思います。

圧縮6-陰陽五行の解釈(まとめ)
【画像 6-陰陽五行の解釈】


7-太極図 このように尾崎家庭園の来迎の松が体現している「陰陽五行」ですが、もともと古代中国で生まれた思想で、この世の全てのものは陰と陽の二つからなるという陰陽思想と、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素から成るという五行思想が結びついたものです。街中で時々ロゴのモチーフなどとして見かけることがあるこれなども、陰と陽を表す太極図で、陰陽思想に関係しています。

【画像 7-太極図】

 陰陽五行の思想は6世紀ころ、仏教や道教とともに日本に伝来し、やがて道教などと結びついて日本独自の「陰陽道」という思想に変化しました。これらが確立された当初は律令によって管理され、もっぱら朝廷などが陰陽師に吉凶の判断、天文の観察、暦の作成の管理を行わせるために使われました。やがて平安以降になると、律令制が崩れてきたことで宮廷から民間へと降りていき、じょじょに日本社会全体へ浸透していきました。室町時代になるとより広く浸透し、江戸時代には国の政治とは離れるかわりに、民間で暦や方角の吉凶を占う民間信仰として広く定着していったようです。陰陽思想が日本庭園に取り入れられた例として、陰陽石があります。これは子孫繁栄などを願うものですが、江戸時代の大名の邸宅などで流行したそうです。
 しかし、これよりもまず、住宅・庭園においては土地の選び方や方角の吉相などを占うために陰陽五行が利用されました。いわゆる「風水」です。陰陽五行説には「四神相応」という吉相の土地の選び方があります。これは東西南北にそれぞれ青龍、白虎、朱雀、玄武といった神にたとえられた川、道、池、山のある土地を吉相とするという考え方です。平安京の場所も、この考えに沿って選ばれたと言われています(東に鴨川、西に山陰道、南に巨椋池、北に船岡山)。都の場所選びに使われるほどなので、当時の社会で陰陽五行説がどれほど力を持っていたか、ちょっと想像がつかないほどです。この考え方は土地選びだけでなく、庭園の配置にも用いられていきました。平安時代の貴族の住宅形式「寝殿造」において取り入れられたそうです。
 松圃園の作庭は江戸時代中期ということなので、陰陽道が広く波及し、陰陽石がさかんに取り入れられていた時期と重なっています。松圃園は時代を経て植物の種類や配置などが変えられているのですが、明治時代の風景が座敷飾りの掛軸絵に残されており、その中に来迎の松を見ることができます。

8-作庭当時の庭の絵
【画像 8-明治時代の庭の絵】

 この松の手入れはすべて当主の指示で行われ、その秘伝は代々口伝で言い伝えられてきたいうことからも、来迎の松が庭の中で重要な意味を持っていることがわかります。このように陰陽五行説が日本庭園に取り入れられ、現代まで大切に受け継がれてきたのは、古代中国から伝わった思想が昇華されて日本独自のものになり、またそれが土地、方角などの自然物に深く根付いているものだったためだと思います。自然物の成り立ちを表す五行をすべて一本の松で表すことは、「万物は五行ですべて表すことができる」という五行思想を体現するものだったのではないでしょうか。それを生きているもので作り出すということには、めでたいものというだけでなく、生き物の中でも五行に則って物質がどんどん変化していき、やがて循環を繰り返していくという自然の摂理が表されているように思いました。(環境デザイン学科2年 TO.YO)


参考文献
宮元健次 『[図説]日本庭園のみかた』学芸出版社、1998年
関根宗中 『茶の湯と易と陰陽五行』淡交社、2003年
稲田義行 『現代に息づく陰陽五行』日本実業出版社、2003年



  1. 2008/12/02(火) 12:50:18|
  2. 景観|
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  4. コメント:1
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2年生のレポートとしては非常によく書けていますね。尾崎家の庭に関する専門の論著がないので、重要な資料になるでしょう。「陰陽五行の松」の解釈については、ご主人にチェックをうける機会があればいいですね。なんとか考えましょうかね。
  1. 2008/12/02(火) 19:44:13 |
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