
全国いたるところに「小京都」と呼ばれる風雅な町があります。この近辺では、倉吉、鹿野、松江、津和野、津山、高梁、尾道、竹原、萩などはみな「小京都」を自称しており、わたし自身、たくさんの「小京都」を訪問してきました。けれども、「小江戸」と呼ばれる町があることを知らなかった。「小京都」は「しょうきょうと」と読むのに対して、「小江戸」は「しょうえど」ではなく、「こえど」と呼びます。「大江戸(八百八橋)」に対して「小江戸」がある、というわけでしょうか。
埼玉県の川越市は「小江戸」を代表する町だそうです。真っ黒で分厚い大壁で家中を囲い込んだ「蔵造」の町並みは、明治26年(1893)の大火後に築かれた防火町家群であり、文化庁編集の文化財パンフレットでは「重要伝統的建造物群保存地区」のページにグラビア扱いで掲載されています。わたしは講義で「重要伝統的建造物群保存地区」を説明する際、このページをそのままスキャンして使っております。馴染み深い町並みの風景なのですが、恥ずかしいことに、未だ行ったことがなかったんですね。

川越駅前の観光案内所でパンフレットを頂戴し、川越が「小江戸」を代表する町であることを知りました。「小江戸」は埼玉県川越市、栃木県栃木市、千葉県佐原市、神奈川県厚木市など、やはり関東に集中していますが、西日本では滋賀県彦根市がこれに含まれるようです。流石、井伊大老の城下町だけのことはありますね。おもしろいのは、栃木市が「小江戸」とも「小京都」とも呼ばれていることです。行ったことないので、なぜだか分かりませんけども。なお、平成8年から川越市が中心となって、「小江戸」サミットを開催しているとのこと。
平成11年選定の重伝建地区では、サインボードに「現在の東京ではみられなくなった、江戸のたたずまいを彷彿とさせる町並み」と紹介されていましたが、上に述べたように、町家はすべて明治中期以降のものであり、「江戸時代の江戸」のたたずまいをあらわすものではありません。大火後の明治町家群が文化庁パンフを飾る重伝建地区の代表選手だという事実は、わたしを勇気づけてくれました。だって、
若桜の中世城下町(=近世宿場町)エリアの町並みが明治18年の大火後のものですからね。若桜だって重伝建地区になる資格は十分あるということです。


残念だったのは、あいにくの雨で良い写真が撮れなかったことと、K.E.ラールセンが『
日本建築の保存修復』(英文)で紹介している重要文化財「大沢家住宅」(↓左)が定休日で閉門していたことです。毎年後期の講義「建築の保存と修復」でとりあげてる大沢家住宅を目の前にしながら、外観だけの撮影にとどまってしまいました。
こうして重要伝統的建造物群保存地区や重要文化的景観を訪ねる旅はほんとうに楽しいですね。川越にはお土産さんもいっぱいあって、ちょっと早いですが、ホワイトデーのお返しまで買ってしまいました。えっ、だれに返すのかって? 焼酎ボンボンをくれたワイフとチリ・ワインをくれた母にですよ。
- 2009/02/25(水) 01:34:05|
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