
3月1日、卒業研究・修了研究展を見終えたわたしは、タクオの車にのせてもらって一路、松江へ。
さて、『出雲大社の建築考古学 -山陰地方の掘立柱建物-』という本の
企画があることをお伝えしたのは、もう3年近く前になるだろうか。2003~04年度の科学研究費補助金基盤研究(C)「大社造の起源と変容に関する歴史考古学的研究」(代表者・浅川)の一環として開催した2回のシンポジウムの成果報告書で、2005年度から編集作業を始め、
2007年6月22日に約70%を入稿したのだが、残りの原稿がなかなか集まらず心を痛めていた。年度があけて、まったく原稿に手をつけていない執筆者は2名だけとなった。二人とも出雲に住んでいる。なんとかしなくてはいけない、と9月にアポなしのまま出雲を訪れた。そして、二人のうち一人にだけ会うことができた。わたしは若くて優秀なその研究者に訊ねた。書くのが億劫なので書かないのか、書きたいけれども書けないのか、そのどちらなのか、と。かれは、後者だと答えた。
その論文が年初に届いた。大変な労作であった。わたしは、論文が届いた日の夜、一気に通読し、この4年の間に研究が格段と進展していることに驚かされた。青谷上寺地などに集中していたこの3年間あまりが、わたしにとって出雲研究の空白期であることを思い知らされたのである。かれの新鮮な論文を読んで、わたしは勉強しなおさないといけない、と思った。これは一人でシンポジウムの結論をこねくりまわしても生産的ではなく、舌足らずになるだろうとも思った。そこで、報告書としての「結論」を紡ぎ出すために、少人数での「座談会」を開くことを提案した。出雲の重鎮たちも、出版社もこの提案を快諾してくださった。そうこうしているうちに、もう1本の論文が別の若手研究者から送られてきた。年初にうけとった論文は「古代」、先週うけとった論文は「中世」をテーマにしている。「起源と変容」を論じるにはうってつけであり、若い二人の執筆者を交えた6名の座談会となった。
悪いとは思ったけれども、若い二人の書いた論文を「叩き台」にして議論を進めさせていただいた。最も新しい知見や解釈が充満しているのだから、こうなるのも仕方ない。お二人はいやだっただろうけれども、おかげさまで、大著の結論にふさわしい座談会になったと思っている。
ありがとうございました!

余談ながら、島根県文化財界の名物男、Nさん(30代後半)が県の役職を辞され、4月から神職に専念されることになった。その送別会を兼ねた打ち上げがじつに楽しかった。座談会でかれの意見をひろく吸収できたことをとても嬉しく思っています。
最後にまた宣言しておきます。研究室活動(文化的景観・限界集落・古民家再生等)は別として、個人研究としての2009年の最優先事項は『出雲大社の建築考古学 -山陰地方の掘立柱建物-』の出版です。弥生建築やら竪穴住居の復元研究は、しばらくやりません。お話があっても受けませんし、現場へ通うこともあまりないでしょう。
年末までに『出雲大社の建築考古学』を出版します! たぶん500ページを超えるでしょう。
- 2009/03/04(水) 14:37:03|
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