
5日の夕方、女満別空港で北海道の寒さを感じたとたん、「ついに、来ちゃったな」と発表の前少し緊張しました。最初に向かった先は地元の居酒屋。そこには、たくさんの先生方を始め、常呂遺跡に関わる方がたがいらっしゃいました。いや~正直ビビリました。しかし、話をすると、皆さんとても気さくな方ばかりでした。うちの先生にバラされた情報で、いろんな先生にいじられるし、
インターンシップで知り合った女性にはフラれるし・・・。本当に照れましたね!
でも、これで緊張は吹っ飛びました。

今回、宿泊させていただいた
リゾート・ホテルは超豪華でした。学生身分にはもったいないくらいです。先生にも「20年早い」と言われちゃいました。部屋からサロマ湖を望む景色は絶景、露天風呂はあるし、ビュッフェ形式の朝食も素晴らしかったです。手伝ってくれた3年生の3人にはちょっと怒られちゃうかもしれないな・・・
そして、いよいよ当日(6日)。会場に向かうと、なんだか厳かな雰囲気。市の教育長などの教育委員会の人などから名刺をいただいたりなんかしちゃって。「明らかに、場違いだよな」と私は恐縮しきりでした。会議では、史跡常呂遺跡・標津遺跡群の世界遺産暫定一覧表記載に向けての活発な意見交換がなされていました。その中で、大学の授業で教わった「ベニス憲章」や「世界遺産条約」について、先生(A教授)が力説されている内容を聞いて、改めて学んだことの重要性を感じました。会議も後半になり、オホーツク文化住居の復元検討の議題へ。私は、資料を用いて何とか発表しました。発表題目は、
オホーツク文化の「船形」住居 -常呂チャシ遺跡9c号住居の復元設計-です。

オホーツク文化住居の模型については、すでにTO大の先生方が亀甲形寄棟屋根の復元模型を制作されています。今回のわたしたちの制作した
復元模型は船形切妻屋根をしています。これはオホーツク文化の住居跡が正六角形ではなく、正面側の出っ張りが強く、背面側が出っ張りの緩い不整六角形をしており、それが船の舳先(へさき)と艫(とも)の関係に似ていること、そして、竪穴の両端にあるピットが棟持柱である可能性が高いことによります。結果が述べると、標津のポー川史跡公園に復元されているトビニタイ文化の住居と近い形状なのですが、わたしたちの復元案には周堤を設けています。これは竪穴を掘った土で屋根の木組の基礎を固めるためという考えを示すためです。
TO大の先生方が以前に復元した模型とは異なる復元案なので、それほど積極的には受け入れられないようでした。意見交換の後、これからも検討を進めていかれることになりました。しかし会議終了後、模型や発表について、「面白かった」と声をかけてくださる方もいてホッとしました。
私は、今回の研究に関わったおかげで本当に貴重な経験ができました。たくさんの人に出会えたし、会議で専門家を前に発表もすることができた。こんなにワクワクする機会はそう得られないと思います。来年度もこんな刺激的な一年にしたいです。この復元ではいろんな人にお世話になりました。皆さん、ありがとうございました!! (黒帯)
- 2009/03/08(日) 23:15:04|
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コメント:1
発表は良かったですよ。帝国大学の先生方は考古学の権威ではあるけれども、当然のことながら、建築については分かっていません。たとえば「これで建つのか?」という質問があったけど、かれらの作った復元模型のほうが全然建たない。「船形屋根ならなんで高床にしないのか」っていう意見もありましたが、それは東南アジア島嶼部の話で、こちらは極東の寒冷地域なんだから竪穴にするのは当たり前。船で海獣狩猟生活を営んでいた人びとが陸地定住化した際、住居に船の空間構造が投影した可能性は十分ある。でなければ、あの不整六角形の説明はできません。考古学の大先生たちも建築についてはさっぱりです。しかし、そのわりに、「もう帰るの?」って黒帯くんを引き留めてたのが気になるね。当方の計画では、これで、黒帯くんは竪穴住居からめでたく解放。新しいプロジェクトに移行する予定です。しばらく休んでください。お疲れさまでした。
- 2009/03/08(日) 21:48:56 |
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