世界文化遺産バクダプルの建築群 世界遺産とはこういうものだ。昨秋
平泉を訪れ、出国直前に標津と常呂に立ち寄ったからだろうが、バクダプルの王宮や寺院や町並をみて「世界遺産かくあるべし」という意を強くした。世界に類をみない木造建築群がここに残っている。その芸術性は
アンコール遺跡群、
シーギリヤ・ロックに代表されるスリランカの世界遺産群、そして、
ハロン湾や
オークニーを思い出させてくれる。日本がいま世界遺産にしようとしている平泉や彦根城や北東北の縄文遺跡群などが、上に列した正真正銘の世界遺産たちと肩を並べることなどありえない、と素直に思った。ただ、われらが
三徳山三仏寺については、その超俗性という点において、わたしは上の世界遺産群にひけをとらないと思うに至っている。しかし、なにぶん文化庁の評価は低く、昨年の暫定リスト掲載申請では常呂・標津とともに三徳山も「カテゴリーⅡ」という最低の評価に甘んじた。


おかしな評価ではないか。あの、世俗化の極みというべき
高野山の寺院群に比べれば、三徳山は平安時代以来、依然、強烈な超俗性を示し続けており、建築年代も平安後期に遡ることは確実である。高野山にも比叡山にも、平安時代の建物は1棟もない。平泉を代表する中尊寺にしても、以前述べたように、境内に残る大半の建物は幕末以降の再建にかかり、かの金色堂にしても、オリジナルの主要部材は東文研の収蔵庫に保管されているはずであり、「材料のオーセンティシティ」という点でどれだけの価値を認めうるのか疑わしい。おまけに中尊寺の境内には飲食店やコンクリートの建物が浸食している。平泉や高野山の為体をみるにつけ、わたしは、平安仏教を理解する上で三徳山ほど重要な場所はないだろうとさえ思い始めているのだが、文化庁の評価が低いのは、県の説明不足か、はたまた文化庁の目が節穴なのか。

ネパールの中世(13~18世紀)を支配したマッラ王朝は、1484年、カトマンドゥ、パタン、バクタプルの3王国に分裂した。バクタプルの旧市街地は、チョークと呼ばれる広場(中庭)を建物群が囲み、チョークとチョークを小路がつなぐ。四囲を画する旧王宮は別格として、ニャタポラやダッタオラヤに代表されるヒンドゥ寺院の境内と町並みには隔絶性が乏しく、チョークを介して世俗と超俗が連続している点がなにより独特な空間構造と言えるだろう。旧市街地の建築はマッラ王朝時代のものがほとんどで、いちばん古い寺院は12世紀まで遡るとガイドは言った。三角破風や窓に施された木彫は絶品この上なく、日光東照宮も脱帽というところだろうか。


わたしはバクダプルを歩きながら、かつて訪れた
バリとラサの匂いをともに感じていた。木造の多層塔はバリのヒンドゥー寺院や住宅内仏堂でみたものとよく似ており、煉瓦積住宅の構造や開口部の意匠はチベット建築の血統を感じさせる。両者の融合のようにして、煉瓦積住宅の屋根からとびだして立つ小さな楼閣をみて、岡垣復元の「見寺本堂」を思い浮かべた。
ネパールはヒンドゥ教の国と言われるが、チベット仏教の影響ももちろんあり、二つの宗教の融合が建築に映し出されている。(続)

- 2009/03/11(水) 20:56:07|
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