世界文化遺産パタンの建築群
11日、ナガルコットからパタンへ移動し、パタンの世界遺産建築群に圧倒された。その後、午後2時半の飛行機(国内便)でポカラに移動し、夕方、ホテル近くのネットショップでケーブル線経由の接続に成功し、ブログをアップした。ただ、その店のインターネットは動作がものすごく遅く、作業は遅々として進まない。翌12日、ガイドのシュリさんがUSBケーブルでかれの携帯(携帯を2台もっている)をわたしのパソコンに接続し、セットアップした。シュリさん自身、初めての体験だったそうで、うまくいくかどうか心配だったのだが、二人でセットアップに挑み、成功した。おかげで、ネットのスピードは倍速化した。パソコン端末として機能する携帯電話か。携帯電話ギライのわたしではあるけれども、この能力を目の前にして、「買い換えるか、それとも買い足すか」と思うほど心を動かされている。
毎夜の仕事はネット作業だけではない。デジカメ写真のデータを整理するだけでもたいへんなエネルギーと時間を浪費する。それだけ、ヒマラヤ連峰とネパールの世界遺産が脅威的で、時と我を忘れてシャッターを押し続けているということなのだろう。

さて、旅の順序からして、いま書かなければならないテーマは「パタン」である。「パタン」という言葉を聞くだけで気が重くなる。
パタンの世界遺産たちも凄かった。バクダプルを上回る質と量の建築の集合体がそこにある。それについて本気で書こうとすれば、いったいどれだけの文字が必要なのか。考えるだけでもうんざりする。

それだけレベルが高いのですよ、みなさん。アジア諸国の世界遺産のレベルは日本人が思っている以上にハイレベルなのです。ユネスコが石見銀山にイエローカード、平泉にはついにレッドカードを突きつけたのは無理もない。その判定を受け入れざるをえない、と納得できます。だから、都道府県の世界遺産登録推進担当者にお願いしたい。1年に1~2度でいいから、なんとか機会をつくって、近隣アジア諸国の世界遺産を実際にみてまわっていただきたい。ヨーロッパや中南米にまで飛ぶ必要はありません。アジアで十分です。そうして、まずは彼我の差を実感するところから始めなければ、いま自分たちが世界遺産に登録申請しようとしているものが、どれほどの価値をもつものなのか、相対視できないではありませんか。

マッラ王朝が分裂した後の三国の都のなかで、パタンはラリトプル(サンスクリット語で「美の都」)とも呼ばれる中世の古都である。いま長い文章を書いている余裕はないので、感想を要約的に述べるにとどめる。

パタンはバクタプルではみられなかった上級レベルの仏教寺院が存在する。二つの代表的寺院をみた。一つは石造のマハブッダ寺院。16世紀にパタンの建築職人がインドのブッダガヤに巡礼し、シカラ様式の仏塔に感銘をうけ、パタンに戻ってそれを模倣し建築したのだという。ちなみに、ブッダガヤのシカラ様式の塔は中国まで影響が及んでいる。北京の正覚寺などにみられる金剛宝座塔はその代表例。仏教説話のレリーフで四面を彩る高い基壇の上に5つの塔が並びたつ。基壇も塔も石造である。


いまひとつはゴールデン・テンプル。建築材料は真鍮だが、仏像は純金だというのだけれども、ガイドさんたちはその純金の仏像をみたことがない。どこの国でも、建物を金ぴかにしたいという欲求があるものだ。そもそも「金堂」という古代寺院に特殊な用語の由来が分かっていない。あるいは、金色に荘厳された仏堂が原義なのかもしれない。
この仏寺では、僧の代役を幼児が務める。稚児のようなものか、仏の化身か。そうそう、回廊の4隅に配された猿の彫刻が妙に印象的だった。翌日、ルムレと呼ばれる山村の近くで、樹上に戯れる多くの猿をみた。


旧王宮はパレスとテンプルが複合化しており、かつては12のチョーク(中庭=広場)がそれを連結してたというが、いまに残るチョークは3ヶ所だけ。しかし、チョークを囲む建築群の壮麗さは尋常でない。バクダプルを上回る迫力をひしひしと感じとれる。ところがまた人間の心性とは恐ろしいもので、豪華絢爛な品物ばかりに慣れてしまうと、「ここまで頑張らなくてもよいのにな」とか「これだけ贅を尽したからにはさぞかし多くの労働者が苦しんだんだろうな」なんて批判的な思いが頭をよぎり始める。
とりわけ、ヒマラヤの自然、高山にくらす農民の集落や段畑の風景に感動した直後だと、「建築」という人工物の集合が偉大なのか堕落なのか、分からなくなってしまう。

なぜ宗教に建築が必要なのだろうか。先日の
松江座談会でも、官社制成立前後における「社」の非建築化がなんども言及された。仏教の場合、自己鍛錬により仏性を高めさえすればよいはずなのに、いつのまにか宗教徒たちは教団を組織し、権威の象徴としてモニュメントを建て始める。必要もないものを建設するようになった段階で、すでに宗教は堕落している。と言えなくもなかろうに、そういう建築群を連写し続ける自分はなんなんだろうか。
こんなこと書いても疲れるだけだね。(続)
- 2009/03/15(日) 00:37:48|
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