チャンドラコットの丘
12日は7時にポカラを出発。ヒマラヤの連峰を望むためにチャンドラコットをめざした。途中、セティ・ガンダキ(←白い川)に添って車は走っていった。白い水の川である。おなじように「黒い川」もネパールにはあるのだそうだが、「白い川」も「黒い川」もバケツに水を汲むと色はついていない。透明だということを、午後訪問したセティ・ゴルジュ(白い滝)で確認した。
山間部に入るにつれ、また一面に段畑がひろがっていった。10~11日にわたしたちを驚かせたナガルコットの段畑が見劣りするほど広大な段畑である。その山間部でいちど途中下車した。そのポイントからもヒマラヤがみえる。さてさて、ヒマラヤとはネパール語で「雪の家him-alaya」を意味し、常時雪を抱いている標高6000m以上の山をさす。ここポカラではアンナプルナ連峰がよくみえる。途中下車したビューポイントからは、アンナプルナ南峰、ユンツリ、マサプチュレ、アンナプルナⅣなどが視野におさまった(↑)。

そこからまたしばらく車は山を上がっていき、ルムレという村に到着。ここがトレッキングのスタート地点である。めざすチャンドラコットまで40~50分のトレッキングだが、その道は無愛想な表情をしていた。村人たちが政府に頼らず、自ら切り開いた林道で、なんとか車も通れるけれども、南側の崖は急峻で、車が落ちたらひとたまりもない。その急峻な崖の向こうには広大な広大な広大な段畑と原生林がひろがっている。これをみているだけで、溜め息がでる。北側の斜面上方にはルムレの集落が展開している。道路に接する右側の断面は粗い地盤で、美しくもなく危なっかしいが、ヒマラヤがかつて海底にあったことを示す地層を示すと聞けば、凝視しないわけにはいかない。運がよければ、アンモナイトの化石に出会うかもしれないのだ。一部に頁岩が露出している地層もあり、あとで気づいたのだが、民家の屋根も壁も頁岩でできていた。オークニーや対馬を彷彿とさせる民家集落景観である。

チャンドラコットの集落にたどり着いて、さらに道を右まわりに旋回すると、いきなりヒマラヤが姿をあらわした。さきほどみた山々と同じ峰ではあるが、わずかばかりでも、それらに近づいているという実感がある。神々しいとは、このことだ。先日の松江座談会でも、出雲国風土記に出てくる神々は、多様な自然物と関わりをもつが、わけても「山」が多いのだと聞いた(わたしは「水」と係わる神が多いと思っていた)。神の棲まう雪山に向かって、体内に棲まう霊が剥離して吸い寄せられていくような錯覚を覚える。同じアングルでなんども写真を撮ってしまう。そのことが分かっているのだけれども、そして、電線が邪魔をしてよい写真にならないことも分かっているのだけれども、それでも繰り返しシャッターを押してしまう自分に呆れるわけでもない。

↑アンナプルナ南峰(左)、ユンツリ(右)

↑マサプチュレ


峠の先端からチャンドラコットの集落に戻り、棚田に張り出した民宿兼レストランのデッキでミルクティーを飲みながら、風景を堪能した。この場合、「堪能した」という言葉遣いは不遜かもしれない。「息を呑んだ」とか「我を忘れた」とか「酔いしれた」とか、そういうレベルの心理であったのは間違いない。見上げればヒマラヤ、見下ろせば段畑。自分をちっぽけに感じるひとときである。
帰りはルムレの集落内を通った。これについては、明日レポートしたい。
昼前にはポカラ市街地の中にあるビンドゥバシニ寺院(ヒンドゥ)も訪れた。ここは市街地からヒマラヤが望めるビューポイントである。ガイドのシュリさんによれば、ネパールの人口は2700万人あまりだが、ヒンドゥ教の神々は3億3千万もいらっしゃるのだそうである。シュリさん自身、笑いながらこの話をするのだが、これまで死んでいったヒンドゥ教徒の「魂」がすべて「神」になったとすれば、3億3千万という数字が荒唐無稽ではないと思われたりしてね・・・・こういうことを考え始めたのは、やはり父の死が契機かもしれない。(続)
- 2009/03/16(月) 00:00:53|
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