ルムレ村の民族誌(下) 1980年代から90年代にかけて、中国の貴州省、雲南省、黒龍江省によく足を運んだ。とりわけ、雲南と貴州の農村地帯は感動的だった。高山の棚田や段畑に囲まれるようにして、少数民族の集落が点在する。どの集落に行っても、「重要伝統的建造物群保存地区」に選定できるほどの民家建築群が残っていた。わたしたちは夢中になって民家を実測し、集落を測量し、ヒアリングを続けていった。あれからずいぶん時間が流れてしまったけれども、ルムレというカス族の集落をゆっくりゆっくり歩き、休む暇なくシャッターを押しながら、心だけ懐かしい30代に戻っていくような錯覚をおぼえた。
-わたしの居るべき場所はここだ。
なんていうと大袈裟だが、自分らしい自分がルムレにいる。鳥取で「限界集落」に惹かれるのも無理はないのかもしれない。


ルムレのような村落にいると、「建築」が人を圧して疎外することはない。建築は自然や田畑と一体化した日常の「環境」になりきっている。屋根は頁岩の板石葺き、壁は板石の平積み。軸部と小屋組は木造で、軒の出をネパール特有の筋交状持ち送りが支える。この持ち送り技法を除けば、貴州プイ族の「石の家」が最も近く(目を遠くにひろげればオークニーともそっくり)、さらに屋根は対馬、壁は済州島とも似ている。済州島といえば、閂をつかう屋敷の門もよく似ている。これには驚いた。ただし、閂の数がちがう。済州島は3本、ルムレは2本である。

シュリさんは、これまで案内してくれた海外のガイドのなかで、最も聡明な男だった。33歳のかれはなんでも知っている。
「この村に住むカス民族はちょっと複雑でしてね・・・ブラーミンと呼ばれる人たちが
自分たちを偉いと思っています。それから、チェトリという人たちがいます。かれらは
戦士です。いちばん身分が低いのはダマイという人たちでして、衣服を縫ったりする
職人さんたちです」
シュリさんはカーストについて触れたかったのだろう。道を歩いていくと、制服を着た中学生と何人もすれ違った。みな、インド・アーリア系の美しい顔をしている。しかし、そのなかにモンゴルかツングースではないか、と思わせる少女も混じっていた。インド・アーリア系とチベット・ビルマ系が入り乱れており、それがカーストを反映しているのか、という憶測を働かせていたところ、シュリさんはミニバスのなかで付け加えた。
「民家の形に階層があらわれています」
民家にそれほど大きなバリエーションがあるようにはみえなかったが、午後訪問した山岳博物館の野外(↓)に民家が展示してあり、そこでの説明にしたがうならば、どうやら裳階(もこし)状の四面庇をもつ建物がブラーミンの住まいであり、庇のない素朴な平屋の建物が下層階級の住まいであるらしい。(続)
- 2009/03/18(水) 14:34:09|
- 文化史・民族学|
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