知識と情と炎と 一夜あけて14日。ポカラの靄は晴れない。ホテルの出発は午前8時と決まっていたが、シュリさんから電話が入り、9時出発に変更になった。
「靄で飛行機が飛ばないんですよ。昨日は5時間遅れの便もあったそうです」
・・・9時15分ころ、空港に着いたが、ロビーはウェイティングの客で溢れている。飛行機はいつ飛び立つのか、まったく検討もつかない。

2階の屋上にあがり、しばらく景色を眺めていたが、靄の状況に変わりはなく、状況が激変するとは思えなかったので、レストランに入ってミルクティーを注文し、ラップトップに携帯をつないだ。ネットは好調。仕事はいくらでもある。
さて、キーボードを叩くか、という段になって、シュリさんが食堂に駆け込んできた。
「急いでください。今なら乗れる飛行機があります!」
カップにミルクティーを残したまま、ラップトップを休止モードにしてリュックに放り込み、急ぎ検閲所へ。わたしたちが乗り込んだ飛行機は、小さなプロペラ機だった。シュリさんは「インチキをした」のだと懺悔した。
「チケットをもっている大きな飛行機はいつ飛ぶか分からないから、
チケットを替えてもらって割り込んだんです」
そうとうな「顔」なんだ。小さな飛行機は遅かったが、1時間ばかりでカトマンズ空港に無事着陸した。元の飛行機に乗っていたら、カトマンズ到着は午後3時半まで遅れたことが、あとで分かった。シュリさんの判断は絶妙だったのだ。

昼食はチベットの鍋料理。前日、ポカラではチベットの難民キャンプを視察した。いまやテントなどどこにもなく、立派な避難住宅が軒をつらね、難民たちは絨毯織りに精を出していた。平和なキャンプだった。昼食後、喧噪の都市空間へと足を踏み入れた。
カトマンズはネパールの首都であり、最大の都市である。旧王宮地区(ダルバール広場)はもちろん世界文化遺産で、中世マッラ王朝期の建築が群をなしている。建築の質がバクダプルやパタンに劣るはずはない。しかし、空気が靄で煙り、塵埃が建築に降り積もり、清浄さを翳らせている。街の通りや小路は人と車とバイクとシクロとゴミで埋め尽くされている。こういう都会の喧噪を好む人も少なくないだろうが、わたしは駄目だ。ルムレが恋しく、ポカラに帰りたくなった。


ただ、美人が多いとも思った。化粧して着飾った都市の若い女性たちにしばしば目を奪われる。カップルももちろんあちこちにいる。そういえば、女装したオカマさんらしい二人連れもみた。シュリさんに確認したところ、たしかにカトマンズにはそういう人たちがいるとのこと。旧王宮にはデモ隊まであらわれた。一部の少数民族が共産主義政権の政策を批判しているらしい。シュリさんは、共産主義者、とりわけその支配者を「
毛沢東」と呼ぶ。しばらく意味が分からなかったのだが、シュリさんの言う「毛沢東」とはマオイストを指すようだ。ネパールは近年、王政から共産主義国家に変わったばかりで、庶民たちはいま動向を見守っている状況だという。
「マオイストたちの後には中国がいたんでしょ?」
「いえ、違います」
「でも、中国が支援しなきゃ革命が成功するわけない・・・」
「インドなんです。インドが裏でマオイストたちを支援していた。インドは表面的
にはマオイストたちを批判していたのですが、裏では武器を供与し続けていた
ことが分かったいます」
「なんでインドが?」
「インドは周辺の国家をコントロールしたいんです。ブータンなどは従順で、
早くから属国化していましたが、ネパールは独立国家としての自尊心が高い
から、言うことを聞かない。だから、マオイストたちを介してネパールを支配
しようとしたのです」


訪問地の最後はスワヤンブナート。おそらく、ネパールで最も有名な世界遺産であろう。いわゆる「方形段台型仏塔」。と言っても、分からないでしょうね。ジャワのボロブドールと同じタイプの立体マンダラです。階段状になった基壇の上に巨大なストゥーパを配する。チベット・南アジアから東南アジアにひろく分布しているが、8世紀の日本にも伝来した。堺の土塔、奈良の頭塔がその物証である。土塔や頭塔の起源を華北の磚塔に求める意見もあったけれども、わたし自身、頭塔の復元に取り組んだ経験があり、それがマンダラの立体化であるのはほぼ間違いないと思うに至った。平安時代以降、最上段に置かれたストゥーパのみが「宝塔」として残り、さらにそれに裳階がついて「多宝塔」となった。本尊は、宇宙の光源たる大日如来。スワヤンブナートの創建は2000年ばかり前というので、真言密教の遠祖とみることができよう。ストゥーパの正面には巨大なドルジェ(五鈷杵)を安置している。大日如来・五鈷杵(金剛杵)のいずれも真言密教に受け継がれている。わたしは
高野山を訪れた際、大日如来と一体になる儀式に有料で参加し、「身にまつわる諸々の因縁や押し寄せる諸悪運を防ぐ」効用のある五鈷杵のミニチュアを買った。その説明書によると、五鈷杵とは、金剛石(ダイヤモンド)が物体を打ち砕く事を意味し、釈尊の教えがすべての邪心・煩悩・悪心を打ち砕く比喩になっているとのこと。
仏教の力というのは凄まじいもので、いったいだれがどう考えてあのような哲学が生まれたのか分からないが、その発想が近年の宇宙物理学と近接しているというお話は以前しましたね・・・その深いお話をシュリさんが必死で語ってくださるのだが、なにぶん時間がないので、わたしはうろうろちょろちょろと動きまわり、シャッターを押し続けた。ただ、「仏陀の智慧の眼」の話だけはちゃんと聞いた。
「左の眼は知識、右の眼は情けをあらわしています。鼻のようにみえる紋様は
炎です。炎が地球の中心に向かって深く沈んでいく様を描いています」
スワヤンブナートのマグネットを買った。研究室のホワイトボードに貼り付けて、いつもわたしを睨んでもらっている。

↑右写真の建物で柱が二つ並びになってることに注目してほしい。王宮でも寺院でも、こういう双子柱をよくみた。壁の厚さにあわせているのか?
- 2009/03/20(金) 12:22:44|
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