
「鶏口牛後」。この言葉を胸に刻んだのはいつだっただろうか・・・。
高校3年生の夏。建築の道へ進むことを決意したが、この時期になってもまだ志望大学を決定できずにいた。というのも、私が学びたいジャンルを扱っている大学は数少なく、当初目標としていた国立大学においては、ほんの一掴みしかない。そんななか某国立大学の助手から浅川教授の話を聞いた。これこそが環境大学に入学するきっかけであった。しかしながら高校3年の秋を間近に、急に私立大学に進路を変更したことは、周りのひんしゅくをひどく買った。高校の進路指導や担任は唖然としていたことを思い出す。何度も「考え直せ」という言葉を聞いた。そんなとき父にいわれたのが「鶏口牛後」だった。
寧為鶏口無為牛後 (むしろ鶏口となるも牛後となるなかれ)
大きな組織に付き従って軽んぜられるよりも小さな組織の長となって重んぜられるほうがよいという故事成語だ。「鶏口」は鶏のくちばしのことで、弱小なものの頭(かしら)のたとえをいい、「牛後」は牛の尻で、強大なものの末端を指す。
地元の小さな大学といわれているが、そこに本当に自分がやりたいことがある
のなら一所懸命やってみろ。そして、いつか「鶏口」となって周りを見返してこい。
この父の言葉を胸に、入学後は日々邁進してきた。
講義はもちろん、まだゼミ室に配属される前に念願のASALABに迎えてもらい、気付けばいつのまにか4年間が過ぎていた。尾崎家住宅の実測に始まり、加藤家住宅の修復、ベトナムの水上集落の調査、大学紀要の編集・刊行、復元コンペなど。大学の講義やASALABの活動を通して、今日の保存と修復をめぐる活動が複雑なものであることを知り、建築技術の習得にとどまらず、保存修復に関する理論や歴史、さらには景観について研究を深める必要があると感じた。これらひとつひとつの経験は、私を大きく成長させた。これらすべてが私の歩んだ軌跡であり、貴重な財産である。
私がこうして「鶏口」に近づくことが出来たのは、浅川滋男先生の厳しくも温かいご指導があったからである。さらには多くの仲間や後輩をはじめ、たくさんの方々が支えとなってくれたからだということを決して忘れてはならない。鶏に「口」があるのは、体があり、足があるからこそである。そうでなければ、動くことも羽ばたくことすら出来ない。
来年度からは、大学院に進学する。学部時代においては本当にいろんな方々にお世話になった。これから頑張っていく後輩を支える意味でも、今度は私が鳥の体となり、足になりたいと思う。そしてこの2年間は「牛後」から「牛口」にのし上がる力も身につけたい。
この4年間ご声援くださいました皆様、大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。修士研究においてもより一層精進いたしますので、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
Mr.エアポート(環境デザイン学科 5期生 岡垣 頼和)
- 2009/03/26(木) 00:07:18|
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