この4月1日付でわたしが就任したポストは大学院研究科長です(任期2年)。いつかお知らせした
学内選挙とはこのポストを争う投票だったんです。研究科長が出席すべき会議は6つあります。教務委員も辞めてませんし、学科会議と教授会は当然出なければならないので、ざっと頭に思い浮かぶだけでも学内で出席すべき会議は9つか・・・かつて、教務委員と入試委員と広報委員と大学院研究科小委員会委員を
併任した経験があり、そのとき出席すべき会議の数は7つでした。このときもしんどかったけど、これからの2年間はもっと忙しい。
わたしは教授陣のなかでいちばん若い、というわけではありません。若いほうから3番目です。多くの先輩たちの顔を思い浮かべると、わたしより適任の方はいくらでもいる。自分は研究科長として不適切な人材だと強く思うのですが、選挙で票が集まってしまったのだから辞退するわけにもいきません。そんなこんなで、少し憂鬱な日々を過ごしていたのですが、先日、新聞を読んでいたところ、山陰の近隣国立大学で、新たに二人の副学長が就任し、そのうちの一人が高校時代の同級生であることを知りました。かれは学年一の秀才でした。人望も篤く、高校時代の担任は「将来、鳥取県知事になるのではないか」とよく漏らしていた人物です。大学はおなじKY都大学ですが、かれは医学部、わたしは工学部。頭の出来には雲泥の差があります。
大学を卒業してまもなく、かれは今の大学の講師に就任しました。わたしが就職したのは、オーバードクターを経た30歳のとき。ともかく出来がちがうのです。かれとはもう25年ほど会っていませんが、じつは家内が大病を患ったとき、電話をかけて相談にのってもらったことがあります。
同級生なんだから、同い年です。52歳。こういう歳になったんだ、とは思いますが、かれとわたしでは人間の出来もちがうし、頭の出来もちがう。かれは副学長になって然るべき人だけれども、わたしは多くの先輩をおしのけて研究科長になるような人徳も人望もありませんし、その大役を務めあげる自信もありません。ただただ、学内外の皆様のご支援だけが頼みの綱です。なにとぞよろしくお願いいたします。
昨日の1限、フレッシャーズ・セミナーのなかに組み込まれた「研究科長挨拶」で、大学院生を前に25分ばかりのスピーチをしました。岡垣くんの入学式「
宣誓」のような原稿があるわけでもなく、ただ「ぬるま湯」に浸かってはいけない、というお説教をしただけですので、話の内容は割愛させていただきます。
- 2009/04/09(木) 00:12:04|
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