昨年度の日本放送文化大賞グランプリを受賞したドキュメンタリー作品「
山で最期を迎えたい -ある夫婦の桃源郷」(山口放送制作)については、さいわい県内でDVDに録画していた方からダビング・データをお送りいただき、4月24日(金)のゼミで放映会をおこなった。会場は加藤家住宅のロフトである。じつは、制作元の山口放送の担当者とも連絡をとりあい、校印を押した借用依頼文書を送付したのだが、いちど電話があって内諾を得たにも拘わらず、今に至るまで映像メディアが送られてきていない。
DVDをお送りいただいた県内在住のFさんには、この場を借りて御礼申し上げます。
さて、このドキュメンタリー、やはり学生諸君にもそうとう大きな衝撃を与えたようである。ただ、わたしたちの世代とは違って、若い学生諸君がこの作品をどうとらえたのかは分からないので、感想を書いていただくことにした。通常、1回のゼミのレポートは1名ということになっているのだが、今回の場合、作品の重みが桁外れなので、1学年から1名を選抜し、計3名に感想文を書いてもらうことになった。いつもどおり、ジャンケンで執筆者を決めようとしたところ、3年生の武内くん(武内はハンドルネームで本名ではありません)は挙手して「書きたい」と自主的に申し出た。4年生はジャンケン、院生は2名とも書くかと思いきやエアポートがパスした模様。
どうぞ若者の感想を読んでやってください。
「愛」という希望 この作品は山口県の山奥、水道も電気も通っていない場所に二人だけで住む夫婦とその家族を17年間も追ったドキュメンタリーです。どんどん歳をとってゆく夫婦と、「親を支えてあげたい」「恩返しがしたい」家族。そこには、過疎化や高齢化社会など様々な現代社会が抱える問題がメッセージとして込められていたと思います。
でも、私がこの作品をみて感じたもの、それは憧れと希望でした。この夫婦の生活には愛がたくさん詰まっています。スクリーン越しに伝わってくる微笑ましさや幸せ。幾年が過ぎても変わらないのであろう仲の良さは、私には何よりも羨ましく写りました。
歳をとり、寝込むことが多くなった夫に「何もしてあげられなくてごめんね」と涙しながら夫の手を握る妻。年老いてゆく夫婦を支えてあげる為、住み慣れた土地を捨て、夫婦の側にいてあげる娘夫婦。家族にも愛され、互いが互いを愛し続ける。それは、この世で一番幸せな事ではないでしょうか。
「山で最後を迎えたい」。この作品は、本当に大事なものが何なのかを教えてくれる素晴らしいドキュメンタリーだと思います。
こんな夫婦になりたいという憧れ、人生とはなんて素晴らしいんだという希望を抱き、愛の大切さを再確認し、私は泣きました。
皆さんにも是非見ていただきたい。見れば分かる、私はそう思います。
そして、大切な人や家族のことをもっと考えれたのならそれは幸せな事だと私は思います。
(3年:武内)
ひねくれてるのかな? はっきりいって、これほどの番組だとは思っていなかった。家族の絆、暖かさに心底感心した。私自身はと言えば、親戚付き合いも少なく、兄妹の仲もそんなに良くない。それが普通だと思っていたから、この内容には正直ショックを受けた。もし、自分の親が「山で最期を迎えたい」と言ったら、果たして理解してあげることが出来るだろうか。考えたくないけど、親が癌を患った場合、あのドキュメントのように兄妹で団結して真剣に討論することができるだろうか。何だか、気持ちがモヤモヤした。
おじいさんが癌で亡くなってしまっても尚、三女夫婦が山仕事を続けている場面では今までと変わらぬ毎日を過ごす「強さ」みたいなものを感じた。これは、認知症が進んできたおばあさんのためなのか、自分たちの生きがいとして継続しているのか、私にはわからなかった。しかし、どういう理由であれ、山で暮らすことを決めた老夫婦も、それを見守る娘夫婦も後悔のない人生をおくるために、この家族は真剣に生きている。私にはとても眩しかった。
最後の場面で、認知症のおばあさんが山にむかって必死におじいさんを呼んでいる。娘さんが「おじいさんの声、きこえる?」というと「きこえない」と不安そうに答える。このおばあさんの表情が心に焼き付いてしまって忘れられない。これは、私が中学生のときに母にさせてしまった表情に似ている感じがして、その時の気持ちにダブってしまったからだ。
私はドキュメンタリを見ると、自分の人生について深く考えさせられるし、自身のだらけている感覚にも嫌悪感を抱くことが多々ある。それが何だか心地良くないので、普段は積極的にドキュメンタリは見ない。去年、キム姉さんの論文のお手伝いで関わった板井原の「限界集落」に絡めて見てみようかなと思っていたけど、そんな余裕は無かったな。
しかし、これだけのドキュメントをみて、「死」「認知症」「介護」の現実を目の当たりにし、単純に感動することができなかった。むしろ、まだ家族のだれも亡くなってないし、葬式に一度も参加したことがない私にとっては、未経験のこれらの言葉がとても恐ろしい気がして、恐怖心のほうが大きく、少し不安になった。でも、みんなは「とても感動した」と、いい話を見てスッキリしたという表情で話していた。やっぱり、私はひねくれてるのかなと思って少しヘコみましたね。純粋じゃないのかな?
これを見てから、いろいろ考えさせられました。ドキュメンタリは見応えあって好きな反面、ちょっと苦手かもしれないですね・・・(4年:黒帯)
大切な人たちの「死」に直面する自分を考えた 山口県の山中にぽっかりと切り開かれた小さな土地。そこに住むおじいさんとおばあさんが主人公です。元は大阪に住んでいた若い夫婦が戦後この地に移り住み、自分たちで山を切り開き生活してきた。娘も3人授かり大きくなったころに、娘たちのことを考え高度経済成長のさなか大阪に戻りました。しかし、娘も嫁いで落ち着くと「山に帰りたい」という気持ちが沸き起こり、再び夫婦は山の中に戻る。そんな人生を送ってきたおじいさんとおばあさんを、平成3年から17年間にわたって追ってきたドキュメンタリーでした。
山の中の小さな小屋と畑を舞台に、くるくると炊事をするおばあさんと、薪を割ったり畑の手入れをしたりと実直に働くおじいさん。電気も水道も通ってはいないけれども、薪を燃やしてご飯を作り冬には暖を取り、水は山からの湧き水を使っている。畑には年中作物がつくってあり、食材に困らないようにしている。そんな生活の中で、おじいさんとおばあさんが支えあって、笑いあって生きている。おばあさんはおじいさんのことを頼りにしていて、山にきのこを採りに行ったおじいさんが帰ってこないと、心配で「おじいさーん」と何度も呼びかけていた。
この夫婦にとって、山での暮らしがどれだけ大切で、どれだけ自分たちにとってかけがえのないものか。そして、お互いの存在がとても大切なものであるということが伝わってきました。
17年のうちに、おじいさんは喘息になったり、がんを患ってしまい、老人ホームに夫婦二人で入るようになっていた。生活が変わった中で驚いたのが、あれほどくるくるとよく動いて炊事をしていたおばあさんが、老人ホームに入ると別人のように、身の回りのこともしなくなってしまっていたことです。その後おばあさんは認知症になってしまうけれども、認知症では身の回りの環境が変わるとその変化に対応できないと聞いたことがあるので、このころからすでにその兆候があったのかなと思いました。
そして、おじいさんとおばあさんは、おじいさんの体調がよくなると3女夫婦と一緒に、山へと帰っていきます。まだ、病気が重くないころは何とか草取りもできていたおじいさんも、いすに座って眺めることしかできなくなります。それでも、おじいさんとおばあさんは「山に帰りたい」のです。そして、最期はおじいさんは亡くなってしまいました。その葬式も、二人が多くの時間を暮らした山でおこなわれ、お墓も建てられました。
おじいさんが亡くなった後も、おばあさんは山へとたびたび帰ります。認知症のおばあさんは、おじいさんがいないことが理解できず、「おじいさんはどこへいっただろうか?」と尋ねます。そして、おじいさんがいない山に向かって「おじいさーん!おじいさーん!」と何度も何度も呼びかけます。何度も呼びかけているおばあさんをみると、胸がいっぱいになってしまいました。
もし、自分がこのおばあさんだったら、やっぱりおじいさんと暮らした山に帰りたいと思うだろうか、おじいさんが亡くなった後もおじいさんのことを呼び続けるだろうか。まだ、この夫婦に比べたらどれほどの時間も生きていないけれども、大切な人と暮らした場所や大切な人というものは、自分の中で大きな位置を占めています。だから、もし同じことが起こったなら、「おじいさーん」と探してしまうかもしれないなぁ・・・と思いました。まだ、これから先は長く感じるけれども、突然「死」というものは訪れるかもしれない。そう考えると、自分の大切な人を失ってしまったり、大切な人を残して先に死んでしまったりすることは、とても恐ろしいことだと感じました。私にとって、今回のこのドキュメンタリーは、自分にとって大切な人たちのことを強く思い起こして考えさせられるものとなりました。このDVD、みれて良かったです。(M1:部長)
- 2009/04/29(水) 00:01:35|
- 研究室|
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わたしのお気に入りは寝室に転用したスクラップバス内のシーン。Wベッドの上におじいちゃんが寝そべっていて、おばあちゃんもあがろうとするのだけれど、うまくあがっていけなくて、おじいちゃんに手を引っ張ってもらい、なんとか上にあがり、二人仲良く添い寝する場面。微笑ましいね。
二人にとって「山に住む」ことはいったい何だったのだろうか。過疎の激しい山村はたくさんあるけれども、そこに「近所づきあい」がないわけではない。二人には「近所」がない。山を愛し、畑を愛し、体を動かすことを愛し、パートナーを愛した。広大な自然に囲まれて、草地に座り込む二人の顔は幸せそのもの。近所は要らない。電気も水道も要らない。二人で山に住むことが楽しかった。「子どもに面倒をかけてはいけない」という決意は悲壮にみえるが、じつは「山で二人暮らし」することが二人にとって極上の幸せだったということだろう。
偉いのは3女夫婦だ。娘も偉いが、婿も偉い。寿司屋を捨てて、山の近くに引っ越すなんて、ちょっとやそっとでは出来ないことだ。胸を打たれた。
あと8年で還暦を迎えるわたしは、これからの人生設計を考えるにあたって、これ以上ない手引きを与えていただいたと思っている。おじいさん、おばあさんとそのご家族、17年間も記録を撮り続けた山口放送、DVDをご提供いただいたFさんに、この場を借りて深謝申し上げます。
- 2009/04/28(火) 14:35:44 |
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