『入唐求法巡礼行記』から見えた中国 19日(金)のゼミは、私の卒業論文「円仁の風景―山陰地域における平安密教の展開と文化的景観―」にむけての第一歩を踏み出した日となりました。研究の前提は三徳山にあります。三徳山の世界遺産暫定登録申請がうまくいっていません。文化庁からの評価は「カテゴリーⅡ」、残念ながら、今のところ、最低の評価に甘んじています。これは三徳山の文化財的価値が低いからではありません。申請の仕方に問題があるだろうと教授はおっしゃいます。
「世界史的な視点が欠落しているんだよ」
というのが教授の見方であり、
「円仁に注目すれば、この問題は一気に世界史の中に巻き込まれる」
とおっしゃいます。
円仁は最澄の弟子であり、最後の遣唐使として中国にわたった僧です。最澄と空海は遣唐使として同じ船で中国に渡りましたが、天台山で修行した最澄の滞唐期間は約9ヶ月と短かかった。一方、空海は長安に2年と3ヶ月も滞在し、真言密教の奥義をきわめました。もともと空海は語学と文学に長けた才人で、帰国後、最澄と空海の扱いは雲泥の差ほど大きかったとも言われています。天台側としては、なんとしても、真言においつかなければならなかった。そこで、最澄に抜擢されたのが円仁であり、かれは遣唐使としてのビザが切れてからも唐に残り、五台山を中心に9年も修行して帰国します。円仁が著した『入唐求法巡礼行記』は世界の三大紀行文として評価されており、その研究もすでに相当蓄積されています。しかし、帰国後の円仁の活動に関する研究はそう多くはないようです。明日、部長さんが報告されますが、関東、東北を中心に円仁が再興もしくは開創したという伝承をもつ天台密教寺院は非常に多いのに、わたしたちの知る限り、それらを網羅的にとらえようという研究が進んでいるとは言えないようです。
じつは、三徳山三仏寺や大山寺も円仁が帰国後、再興に係わったとされていますが、その実態が定かではありません。今年度のASALABの文化的景観に関わる調査研究は、円仁に光をあてて、日中の仏教諸山の「風景」を比較研究することになりそうです。この「風景」という用語は、司馬遼太郎の代表作『空海の風景』から借用したもので、教授によれば、たんなる景観のことではなく、歴史や文化などを総合した概念として使いたい、とのことです。
今回の1回めの発表で、わたしはとりあえず『入唐求法巡礼行記』から読み取ることのできる円仁の足跡の概要をテーマとしました。一方、部長さんは山陰において円仁が関わった寺院をリストアップし、日本での足跡をテーマとされました。わたしの発表内容の目次は以下のとおりです。
慈覚大師円仁 ―『入唐求法巡礼行記から見えた中国』― 1.円仁の人物像
2.入唐求法巡礼行記から読み取れる入唐中の動向
3.五台山で円仁が訪れた建築の紹介
4.付録 -懸空寺と応県木塔-
私の読解力では文献の難度が少々高く、把握しきれてなかった箇所や資料の不備をたくさん指摘されてしまい、勉強不足を痛感しました。もっと努力しなきゃいけません。私も中国渡航や廃仏令などのさまざまな困難を乗り越えてきた円仁を見習い、卒業研究が良いものになるように妥協をせず頑張ることを心に誓いました。 (黒帯)
参考文献 円仁(深谷憲一訳)『入唐求法巡礼行記』中央公論社、 1990
佐伯有清 『円仁』吉川弘文館、1989
E・O・ライシャワー(田村完誓訳)『円仁 唐代中国への旅』講談社、 1999
斉藤忠『中国五台山竹林寺の研究-円仁(慈覚大師)の足跡を訪ねて―』第一書房、1998
- 2009/06/25(木) 00:03:28|
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