
6月25日、式台修復と建具調査・設置の活動報告です。
式台修復本格始動! 魯班営造学社2名とともに式台修復に取り組みました。先月、解体された
式台の部材実測をしてから、今まで修復活動が停止していました。しかし先週、カマドの復元を終え、ついに魯班営造学社の2名に社長(教授)から新たな指令が下されました。
「次の業務は式台の修復だ」
というわけで、技術員のナオキさんとピヴォさんを筆頭とする式台修復が本格始動しました。

もともと式台(色代)とは書院造住宅の正面玄関、もしくは玄関に設けられた木階をさします。武家屋敷において、客人(目上の人)が地面に降りることなく駕籠に昇降するために設けられた板の張り出し部分で、上に社寺の「向拝」のような屋根を伴います。のちに武家住宅から地主など農村の上層クラスに波及していきました。加藤家住宅にも正式な「式台」が板間の前に設けてあり、江戸時代における格式の高さをよく示しています。ここにいう狭義の「式台」は貴賓客を送迎する高級住宅の正面玄関でして、家人が日常用いることはありません。家人は土間経由で板間・畳間にあがっていきます。この土間と板間の境にも正面玄関の式台に似た幅の短い揚床状の木階が一段だけ設けられ、この木階も式台と呼ぶ場合があります。こちらの呼び方が広義の「式台」と言ってよいかもしれません。
土間にあるとはいえ、「客」を意識したものであるのはあきらかで、加藤家住宅の場合も、欅の敷き板を使った格式の高い造りにしています。この土間の式台は、加藤家修復工事の際に解体されたままになっていたのですが、板間・畳間と土間の高低差はかなりあって昇降が難しく、なんとか今年度「復元」しようということになりました。
解体された式台の部材は加藤家の書院の裏の縁に保管されていました。おそらく解体前からそうだったのでしょうが、部材は全体的に腐食が進んでいます。とくに、床束や框は仕口加工箇所を中心に腐食が著しいことが分かりました。

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今回、式台の部材をすべて土間に持ち込み、仮組に挑んでみました。腐食が進んでいるとはいえ、仮組をしていくと、予想以上にしっかり組み立てることができました。ミゾや仕口の加工精度が良くできていて、大工さん(座敷まわりの縁板と同じ材料を使っているので多分明治の作)の技術力には恐れ入りました。ただ、荷重をかけてみると腐食のせいか、ミシミシと音を立てるのです。このまま元に戻したとしても壊れるのは目にみえています。教授からは、しっかり実測調査して、再利用できる材とできない材の色分けをする必要がある、という指導をうけました。主に板材はそのまま再利用し、構造的に重要な床束、腐食の激しい框は差し替えることになりそうです。しかし、框の表側は破損状況がまったくみえないので、なんとか残せないかと思っています。課題は多々ありますが、これから調査を綿密に進め、復原設計図を作成していく予定です。

建具スクワット! 先週、先々週と写真撮影補助にまわっていた建具調査班ですが、今週はびしびし作業してもらいました。3年前の番付から建具を仮設置していきます。建具の包装を解き、建具を原位置にはめてみる。はまれば良いが、そうでない場合、再び包装。この作業が思ったより肉体的、精神的に疲れるようで、作業する二人の顔には疲労の色が蓄積していきました。
仮設置していくと、納まらない箇所が少なくなく、座敷、ナカノマ、オクノマの間の建具は全くはまりませんでした。今回なんとか設置できたのは囲炉裏間と土間の境、座敷とアイノマの境の2箇所と土間の簀戸のみでした。まだまだ、未調査の場所があるので、今後調査を進めるとともに建具の調整も進めていこうと思います。
今回作業にあたってくれた黒帯、アシガルの両名は「スクワットの動きが多くて疲れた」といって、学校に帰ったころにはもう覇気のない顔でグッタリしていました。2人ともお疲れさま! (黒猫)
- 2009/07/02(木) 00:15:50|
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