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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

隠岐出雲巡礼(Ⅱ)

01壇鏡01縦01全景01


壇鏡の滝
 
 4日(火)の午後3時ころ、隠岐道後の「壇鏡の滝・壇鏡神社」を訪れました。鳥居をくぐり、参道を歩いてゆくと、まず左手に1本の滝が視界に納まり、随神門をくぐると、今度はもっと高くて迫力のある滝が右手にみえました。この2本の滝で十分圧倒されるのですが、さらに絶壁にくいこんだ神社と滝の向こうに穿たれた小さな岩窟をみて、わたしたちの胸はいっそう高鳴りました。また、滝壺から流れる渓流にはオキサンショウウオが多数生息しており、自然生態系の豊かさと場所の清らかさを雄弁に物語っています。ちなみに、この滝は平成2年に「日本の滝百選」に選定されています。
 隠岐の歴史的な社寺建築を理解する上で「廃仏毀釈」を避けて通ることはできません。明治3年(1870)前後に吹き荒れた廃仏毀釈の嵐に隠岐の仏教寺院はことごとく巻き込まれ、取り壊されるか神社に衣替えさせられました。壇鏡の滝の下流にも密教の寺院があったそうですが、廃仏毀釈の命により解体され、いま岩陰にくいこむ壇鏡神社の本殿と拝殿が新築されたのです。本殿の様式はいわゆる「大社造変態」ですね。ここにいう変態とは、もちろんアブノーマルではなく、バリエーションのことです。
 寺院がどこにあったのかはよく分かりませんが、神社の本殿・拝殿がたつ岩陰は有力な候補地でしょう。社務所管理人さんは「下の鳥居の近辺」と言われていましたが、そんなに自信はないようでして、摩尼寺「奥の院」や焼火(たくひ)神社を参考にするならば、壇境も本堂と岩窟が近接していた可能性はあるでしょう。本堂が壊されるとき、本尊を滝の後の岩窟に移したと伝承されており、岩窟を覗いてみると、中央に本尊らしい仏像が置かれ、その両側に石仏を配していました。岩窟は半円形の断面を呈し、横幅が約2m、高さも約2mを測ります。仏像・石仏は小さなものです。
 この岩窟をみて、摩尼寺「奥の院」の岩窟を思い起こさないわけはありません。摩尼寺「奥の院」の岩窟は壇鏡のそれよりも大きく直径が5m前後あり、岩窟の奥に仏龕を備えています。さらに、近接した距離に平坦な敷地を造成し、そこに本堂らしき礎石建物を建てています。摩尼寺「奥の院」における礎石建物と岩窟の関係が、壇鏡における本堂と岩窟の関係にだぶってみえてくるでしょう。
 問題は、岩窟の正面に木造の懸造建築がつくられていたかどうかなんですが、これについては、後日、エアポートさんが島前西の島の焼火(たくひ)神社、部長さんが平田市の鰐淵寺浮浪滝について説明してくださいますので、楽しみにお待ちください。「建築」の存否はさておき、滝の背面にある岩窟が密教の小型仏堂であったことはまちがいないでしょう。

01壇鏡02横02岩窟01



01壇鏡02横01屋根と滝

 社務所管理人さんの話を聞かれた教授は、このような岩窟の背景としては「建物をつくるよりも小さい横穴を掘ったほうが手っ取り早く、起源的にみるならば、建築が軒を連ねる伽藍整備の以前に日本に入ってきた雑密?と関係があるのではないか」と推定されていました。神道もそうですが、仏教においても、自然のある特殊な場所を切り取って修行・信仰の場とする時代があった。そういう想いをめぐらされているようです。
 たとえば、鳥取環境大学の近くには、若桜町の不動院岩屋堂(重要文化財)があります。岩屋堂の建築年代は室町時代南北朝期といわれていますが、岩窟の成立年代が懸造建築と同年代であるとは限りません。常識的には、まず岩窟が掘られて、その後に懸造の建築が何度か建て替えられてきたとみるべきでしょう。問題はその岩窟の掘削年代がどこまで遡るのか、ということです。それを解き明かすのは並大抵のことではありませんが、山陰地方に残る岩窟型寺院をこつこつと調べていくしか推定の手だてはないでしょうね。
 このように、「壇鏡の滝」はとても素晴らしい場所でした。教授の評価も高く、「さすが国立公園。寺院建築は失われているけれども、地形・植生・天然記念物・歴史的由緒からみて十分世界遺産のレベルに達しているだろう」と絶賛されていました。今回の隠岐巡礼はわたしたちにとって初物尽くしの体験ですが、教授はすでに数回隠岐訪れられています。そんな教授が唯一みていなかった場所が「壇鏡の滝」であり、その成果に顔をほころばされていました。

 「壇鏡の滝」は素晴らしく、自分の卒業研究になくてはならない収穫をえることができて、ほんとうに良かったと思っています。しかし、その一方で、初日の調査計画には反省すべき点が多々ありました。壇鏡以外では大きな収穫を得ることができなかったのは、わたしたちが計画した時間配分がまずかったからだと思います。
 最近読んだ密教関係の本の中で次のようなことが書いてありました。
 密教は外面的なことはさておき、ものごとの本質にまっすぐ入り込んでいき、本来の姿をはっきり掴み取るところに特徴がある、と空海が説いたそうです。本来の姿を掴み取るためには、手をこまねいて議論しているだけでは駄目で、すすんで立ち上がって宝庫を開く行動をおこさねばならない。これが「衆生の秘密」です。それを思い出しました。この日の調査計画にも言えることなのです。何が効率的で、重要なことなのか、きちんと掴めてなかった。調査の本質を理解することが大切だと思いました。(黒帯)

01壇鏡01縦02神社01


  1. 2009/08/10(月) 00:28:04|
  2. 景観|
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