故郷の社 私(アシガル)は事情があって隠岐巡礼には参加できませんでした。ただ、6日(木)の出雲大社「平成の大遷宮」御本殿大屋根の葺き替え特別拝観をのがすわけにはいかないので、期末試験を終えた3年生2名を従えて出雲古代歴史博物館で本隊と合流しました。出雲大社の特別拝観については、旅程全体のクライマックスとして明日の報告に残すことにして、今日は黒帯くんとガードくんの故郷(ふるさと)に鎮座する神社についてレポートします。
1.「大社造」本殿最古の遺構 -神魂神社 後発隊の3名は、6日、松江市大庭の神魂(かもす)神社を経由して出雲をめざしました。また、7日にも院生のお二人が「まだみていない」ということで視察を希望され、結局2度も参拝することになりました。2回めは教授も同行されており、いつものごとく、学生たちに質問を浴びせられましたが、一同沈黙・・・

神魂神社と言えば、教授が2年次に講義された「建築と都市の歴史」授業を忘れることはできません。教授は第3講義「天空の神殿」のなかで、出雲大社の歴史と建築について詳しく述べられた上、大社造最古の遺構は神魂神社本殿であるとして、出雲大社本殿と神魂神社本殿の違いを詳しく語られました。ここで建築(造替)年代を確認しておくと、出雲大社本殿は延享元年(1744)、神魂神社本殿は天正11年(1583)です。もちろん、いずれも国宝建造物。
じつは、黒帯くんの実家は神魂神社の近くにあります。「建築と都市の歴史」授業では、第1回の調査レポートとして「GWの連休を利用して神社を訪問し、その本殿をスケッチしてレポート用紙裏側に貼りつけるとともに、その神社の歴史をまとめなさい」という課題があり、黒帯くんは神魂神社本殿をレポートして
優秀作品に輝いたのでした(←)。だから、神魂神社の歴史と構造形式についてはとても詳しいと思っていたのですが、教授の質問にまったく答えられません。況や、ガード、アシガル、黒猫をや、ってところです。教授の以下のような質問はされました。
問 出雲大社本殿に比べて神魂神社本殿が「大社造」の古式を示すと言われる
その要素をあげなさい。
エアポート先輩だけはニヤニヤとして、他の学生の様子をうかがっていましたが、だれも答えられないので、おもむろに口を開き、
解1) 棟高に対する床高の比率が大きいこと
解2) 棟持柱が前にせり出していること
と指摘されました。教授は、さらにもう一点の解を要求されましたが、これには院生も答えられません。
解3) 柱間に対する柱径が太いこと。大社に比べて神魂は木柄が全体に太い。
木柄の太さは、古代出雲大社の巨大さの名残ともとらえられると言います。このほか大社本殿と神魂本殿の違いとしては、千木の形状もよく指摘されるところです。大社が男千木、神魂が女千木ですが、これは祭神の性差(オオクニヌシvsイザナミ)をあらわすものと言われています。さらに平面についても対照的で、御神座の位置は、神魂が扉からみて左奥に位置しており、出雲大社とは真反対になります。縁起によれば、千木と平面の違いを、大社本殿の「男造」に対して神魂神社は「女造」と呼び分けています。

2.比翼大社造 -美保神社 神魂が黒帯くんの故郷なら、島根半島東端の美保はガード君の故郷です。ずいぶん距離が離れているのに、二人が高校の同窓だなんて、ほんと信じられませんね。
美保神社については、すで何度かLABLOGでとりあげられています。美保神社は「大鳥造」風の「大社造」変態本殿を2棟縦列させた類例のない特殊な社殿です。複数の祭神が鎮座しているから、こういう連棟型の社殿になるわけで、美保神社の場合、むかって右の本殿がミホツヒメ、左の本殿がコトシロヌシを祭っています。造替は文化十年(1812)。重要文化財に指定されています。
美保神社の本殿様式は「美保造」とも「比翼大社造」とも言います。切妻造檜皮葺、二間四方の身舎二棟を間口二間の装束の間(合の間)でつなぎ、正面一間通に前室となる「獅子の間」をおき、さらに正面に向拝をつける様式です。心御柱と正面の宇豆柱は床下で止まり、内陣内には板壁がなく、御神座が正面を向き、扉も中央に開いています。「大社造」本殿のなかでは、極端に異端の位置を占めるものと意ってよいでしょう。さて、「比翼大社造」という呼称は、おそらく「比翼入母屋造」を意識したものでしょう。岡山県総社市に鎮座する吉備津神社の本殿は「八幡造」(二棟の本殿を双堂のように並列した様式)に四面庇をつけた日本屈指の意匠でよく知られています。「比翼入母屋造」は本殿2棟を並列させ平入とするのに対して、「比翼大社造」は2棟を縦列させ妻入形式とし、庇は正面のみとしています。

教授はもちろん何度も美保神社に来られているのですが、今回は車を降りた途端に触覚が動いた模様。いきなり手水舎が目に入り、一目みただけで、それが隠岐神社の手水舎と瓜二つであることに気付いたからです。隅に3本柱を使う構造形式、愛嬌のある木鼻のデザインなど隠岐神社の設計者と美保神社手水舎の設計舎が同一人物であるのは間違いと思われます。さらに奥に進んでいくと、八脚門・回廊・拝殿も手水舎と同じ意匠をもつこともあきらかになってきました。縁起をみると、これら近代の社殿の建築は昭和3年と書いてあります。隠岐神社の造営が昭和14年なので、11年の時間差がありますが、おそらく美保神社の新築社殿をみた隠岐神社造営の担当者が同じ建築家に設計を依頼したのではないでしょうか。(アシガル)

- 2009/08/14(金) 12:51:17|
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