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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

隠岐出雲巡礼(Ⅹ)

20清水寺01全景01


円仁の風景(Ⅸ)-瑞光山清水寺

 安来の瑞光山清水寺が隠岐・出雲最後の巡礼地となりました。瑞光山清水寺は用明天皇2年(587)、尊隆上人によって開山された古刹と伝え、とすれば、開山は浮浪山鰐淵寺よりもさらに古いことになります。縁起によれば、一滴も水が出ない山だったが、尊隆上人が一週間祈願し続けたところ、水が湧き出て、雨季にも濁らず乾季にも枯れなかったため、清い水の出る寺として「清水寺」と名づけられたとのこと。その後、承和14年(847)11月に慈覚大師円仁が訪れて光明真言会をひろめ、それを機に天台宗となったそうです。

20清水寺02根本堂01外観


20清水寺00案内図 左の境内案内図をクリックしていただくとよく分かるのですが、清水寺の境内にはたくさんの堂塔が軒を連ね、伽藍がじつによく整備されています。山陰でこれだけ広大かつ建築物の多い伽藍をもつ仏教寺院は珍しいでしょう。伽藍の中心をなすのは、ここでも根本堂です。その規模は鰐淵寺よりもひとまわり大きく7間四方で、全体に床を張っています(鰐淵寺は四半敷)。屋根は入母屋造のこけら葺で、軒のみトチ葺の二重軒付としています。組物は出三斗、中備は間斗束。軒の出はおそらく13尺ばかりあって長いのですが、それを二手先や三手先ではなく、出三斗で処理しているところが驚異というか、あぶなっかしいというか、おもしろいところです。礼堂(外陣)内部には梁行方向の柱筋すべてに虹梁を架けてその尻を挿肘木で支え、虹梁の中間あたりに大斗を載せ、そこまでを格天井、そこから外に向かって化粧垂木をかけています。4隅の木鼻のみ絵様があり、江戸時代中期の様式とみうけられますが、これは後補であり、他の材の風蝕は一様に進んでいます。若い僧に年代をうかがってみると、明徳4年(1393)建立の中世仏堂であることが分かり、教授も納得。もちろん重要文化財に指定されています(鰐淵寺根本堂は県指定文化財)。
 ちなみに、外陣・内陣の境には「大悲閣」の扁額が飾られていました。

20清水寺02根本堂02内部

 このほか護摩堂、毘沙門堂などの小型の仏堂や神社がいくつもあり、それらすべてについて語る余裕はありませんが、おもしろい建物だと思ったのは鐘楼です。内転びのきつい4本の通柱をたちあげた楼造ですが、楼造というよりも、東南アジアの高床住居のような趣が感じられます。床は4本柱に差し込まれた手挟(たばさみ)のような持送りで支えています。

20清水寺03鐘楼



20清水寺04宝塔01

 根本堂の奥の高台には「宝塔」がそびえています。宝塔とは大日如来を祀る密教特有なスツーパ型の塔ですが、清水寺の宝塔は、宝塔でも多宝塔でもなく、三重塔になっています。これが山陰唯一の三重塔でして(もちろん五重塔は皆無です)、安政6年(1859年)に檀家の尽力で建立されました(県指定文化財)。おそらく、名前だけ密教らしく「宝塔」としたのでしょう。じつは、この三重塔は中にも入って上まであがれるらしいのですが、土・日と休日のみ公開ということで、残念ながら三重塔からの眺望はお預けとなりました。細部は禅宗様の要素が多く、和様との折衷としています。絵様が少なく、様式上の年代が分かりにくいのですが、蟇股の図柄に水仙やタンポポなどをあしらっており、それが幕末という時代相をあらわしているのかもしれません。
 最後に境内の中にあるお土産屋さんによってみると、たくさんの羊羹が売ってありました。清水寺に円仁が訪れた際に、光明真言会とともに伝えた羊羹だそうで、売り上げナンバー1の土産物になっています。また、わたしは駐車場近くの喫茶店で羊羹アイスも頂戴しました。美味しかったですよ!

20清水寺04宝塔02細部


 鰐淵寺と清水寺。出雲を代表する円仁ゆかりの二大古刹を一日のうちに訪問し、感じえた印象は対照的なものでした。伽藍の規模や堂塔の多さからいえば、清水寺が鰐淵寺を大きくリードしています。とりわけ、7間四方の根本堂は延暦寺根本中堂よりも古い中世仏堂として、学術的には非常に価値の高いものです。ただ、不思議なことに、清水寺の境内にいても「聖なる雰囲気」というか「超俗的な雰囲気」をそれほど体感することはできません。
 それに対して、建築物の少ない鰐淵寺は周辺の自然とあいまって、どこか幽玄な匂いを漂わせています。とりわけ、蔵王堂の前を流れ落ちる浮浪滝にはえもいわれぬ神聖さを感じ、皆ただみとれていました。同じような感触というか感動を、隠岐の壇教の滝や焼火神社でも味わいました。それはまた、三徳山の投入堂や若桜の不動院岩屋堂でも味あうことができます。
 人は自然のなかに「神」を感じています。もっと厳密にいうならば、自然のなかのある「特殊な場所」を切り取って、そこに「聖性」を(共同幻想として)読み取っていると言ってよいのではないでしょうか。その「特殊な場所」に「建築」を建てる。主役としての「建築」ではなく、主役としての「特殊な自然」を際立たせる脇役としての建築を添えることによって、場所の聖性はさらに高まります。
 この場合、建築の数が多くなったり、建築の意匠が派手すぎてしまうと、場所の聖性は失われていきます。鰐淵寺では超俗的な聖性を感じ取ることができるのに、清水寺は都市に造営された寺院と同じような雰囲気を感じ取る人のほうが多いでしょう。要するに、建築が多くなって伽藍が整備されると、そこは「都市のミニチュア」のような人工環境となってしまい、自然がおのずともっている「聖性」から遠くはなれていってしまうのです。
 この問題はたんに密教寺院における仏堂と自然の関係性にとどまらず、自然をひきたてる要素としての建築設計がいかにあるべきか、という現代的な課題にも直結しています。8月下旬の伯耆巡礼から9月上旬の五台山巡礼にかけて、この根本的な問題に対して考察を深めていきたいと考えています。(部長)


20清水寺05門前石仏


  1. 2009/08/17(月) 13:00:52|
  2. 建築|
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