8月1日にアップした「
『月刊プレイボーイ』創刊号」という記事には即座に反応があった。と書いても、なんのことだか分からない読者もいらっしゃることだろうから、要点をおさらいしておこう。
2007年1月にアップした『月間プレイボーイ』に関する記事を読んだ70歳の元モデルさん(もちろん女性)から非公開コメントが入ったのは7月25日のこと。33年前に発行された『月間プレイボーイ』創刊号に、秋山章太郎撮影の自分の写真(グラビア7ページ)が掲載されているのだが、その創刊号を事情があって失くしてしまった。しかし、70歳になった今になり、若き日の自分の写真を見たくなったので、なんとか探しだして欲しいと懇願するメッセージが記してある。なにやら「探偵ナイトスクープ」じみた依頼だが、依頼者の気持ちが痛いほど伝わってきたので、まずは情報収集から始めようと決心し、今月1日に事情説明の記事をアップしたのだった。
たちまち、音楽仲間の一人から非公開コメントがあった。「古書を注文できるところがあるようですよ」と書いてある。
灯台もと暗し・・・わたしが文献集めで最もよく使っているサイトはAMAZONで、その次が「日本の古本屋」というサイトではないか。「日本の古本屋」は全国の古書店をほぼ網羅しているサイトで、欲しい書物やキーワードを検索すると、対象となる古書の所在地(古本屋さん)がずらりと表示される。欲しい物件はたいてい数ヶ所の本屋がもっていて、そのなかで最も安値をつけている古本を購入できる。
「日本の古本屋」サイトを開き「月間プレイボーイ」で検索してみたところ、数十軒の古本屋さんがヒットした。しかし、創刊号を所蔵していたのは1軒のみ。梅田の某古書店が創刊号を売りに出していたのである。値段は送料込み3280円。安い、と思った。即座にカートに入れ、注文のボタンを押した。まもなく受注メールが届き、そのメールの指示に従って、2~3日後に代金を振り込んだ。
古本屋で創刊号を発見し入手される状態となったことを、もちろん元モデルの古田さん(仮名)に連絡した。
隠岐巡礼中にその返信メールを民宿でキャッチした。彼女の喜びようは尋常ではない。ただ、細部に気になる表現が含まれているので、転載文(一部抜粋改変)を注意深く読んでいただきたい。
ありがとうを、幾たび繰り返した事でしょう。姉の看病で家を留守にして
おりました。姉はきっと良くなると想いつつもやりきれなさに押しつぶされ
そうな時に二度にわたるお便りを見付けました、早速お便りを下さった事に
大感激し、もう、見つけていただいた事に舞いあがりそうでしたが、
その次は、(私はそこに載っていないのではないか、他の月ではないか)等と
心配になって、お便りしてしまった事に罪の意識さえ感じております。
鳥取は私を育ててくれた舅が幼い頃住んでいたと聞いており、暖かい想いで
おります。本当に有難うございました。大変恐縮ですが隠岐よりお戻りになって
からお送りくださいますようお願いもうしあげます。
その日までどき、どきを楽しみたいとおもいます。
お暑さの折御身お大切になさってくださいませ。
本当に有難うございます。 古田
8日にようやく梅田の古書店が「振り込み」を確認したらしく、たぶん9日に発送の運びとなった。ところが、わたしは10日に鳥取南中で出前講義をこなした直後、奈良に帰省してしまったので、創刊号の受け取りは盆明けとなってしまったのだが、ワークショップの準備やら大山登山やらがあって、冊子小包の開封は25日までずれこんでしまった。ほんの数日前のことである。
創刊号を開いてみた。
そこに、古田さんのグラビアは含まれていなかった。
他の日本人女性のグラビアもまったくない。創刊号はアメリカ版プレイボーイの転載・翻訳に多くのページを割いていて、紙面のあちこちに散りばめられたグラビアはすべてアメリカ版プレイボーイに掲載された米国人美女たちの複写修正写真であった。
そういえば、そうだったような気がする。月間プレイボーイ誌は最初、アメリカ人のヌードばかり掲載していた。当時の日本人男性は、それを求めていたのである。それが、ある時点で軌道修正され、日本人の美女たちのヌードを含むようになっていく。わたしがいちばん記憶に残っているのは、夏木まりのグラビアである。
残念なことだけれども、古田さんには「事実」をお知らせするしかない。上に転載したメール文にある(私はそこに載っていないのではないか、他の月ではないか)という杞憂が現実のものとなってしまい、おそらく彼女はひどく落胆するだろう。
果たして、彼女からの返事はしばらく届かなかった。(続)
- 2009/08/30(日) 13:59:14|
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