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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

七夕の会(Ⅰ)

実測風景

 隠岐出雲巡礼の最終日に河本家住宅に立ち寄り、脇門と家相図の調査についてご快諾いただいたことはすでに報じたとおりである。。早くも、その日が来てしまった。
 8月29日(土)。加藤家住宅での第1回公開ワークショップが大成功をおさめた日の翌々日である。
 調査メンバーは、私(黒猫)、ナオキさん、タクオさんの3名。私は家相図の写真撮影と倉長家(河本家の隣家)の現状配置の調査、ナオキさんは河本家脇門の実測、タクオさんは河本家分家の調査を受けもった。

隣接する家相図

倉長家家相図封筒 家相図撮影のために、土蔵を改装したアトリエの2階を使わせていただきました。倉長家の家相図をひろげ、写真を撮り始めたのだが、どうやって真上からきれいな写真を撮るかが大問題。脚立の上に乗り、三脚を取り付けたカメラを家相図の真上まで伸ばし、セルフタイマーでシャッターをきる。写真を見てみると、結構うまく撮れていた。撮影の途中、倉長家のご主人から「二つの家相図は繋がるよ」と言われ、二つを河本家の繋げてみると、たしかに敷地境界線がピッタリと合った。二軒分の家相図は圧巻であり、めったにお目にかかれないものに出会えたと思った。

 倉長さんから旧街道や昔の敷地利用について教えていただいた。さらに母屋の話をしていると、「どおせなら家に来るか?」と誘われたので「是非、お願いします!」と即答し、タクオさんと3人で隣家に向かった。母屋は改装・増築がなされていたが、柱や梁は太い材が多く、式台なども残っていた。残念だったのは、倉長家でも河本家と同様、裏門が消滅していること。内部の調査をしたタクオさんは「倉長家を本格的に調査すれば、卒論として十分通用するものにできるだろうな」とおしゃってました。建物の歴史性、河本家との関連性を調べていけば、面白い論文になるのは間違いないでしょう。
  さて、2つの家相図を改めてみてみると、母屋に対する裏門の位置が同じであることに気付く。また、2つの家相図は、川合清丸という人物が描いたとされる。倉長家の家相図に「瑞穂舎撰」と記されており、瑞穂舎が川合清丸の号だということだった。裏門と家相図の関連性について研究していくためには、もちろん家相の基礎をしっかり学ばなければなりません。

2枚の家相図



脇門の実測

 ナオキさんが脇門の実測を開始した直後、突然の豪雨に襲われ、大変だったみたいです。それでも、しっかり仕事をこなすのがナオキさん、数時間後には、きれいな実測図ができあがっていました。今後、実測図を基にCAD図を作成し、加藤家裏門の実施設計に生かしていく予定です。
 東門実測1 東門実測2 石垣
↑脇門の実測図(左、中央)加藤家裏門の基本設計図(エアポート作)(右)


  1. 2009/09/03(木) 00:50:25|
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