出雲の初秋を満喫した。
今年もまた出雲の某高校から
出前講義の依頼があり、その前後にレンタカーで高校訪問してまわったのだ。
彼岸花はまだ田の畦に咲き乱れていない。ただ緑から黄金に遷ろいゆく稲の穂が風に揺れるのをみているだけで、得難いものを得たような気持ちになる。
出前講義の演題は昨年と同じで、「天空の神殿-出雲あるいは杵築の大社」。1年前のブログを読み返すと、大学の授業用パワーポイントを使ったことをひどく反省し、高校生用にアレンジすべきだったと猛省している。
自民党の長老たちのように懲りないわたしは、今年も同じパワーポイントを使い、同じことを悔いた。後半の「神話・歴史・復元」はよく聞いてくれていた。前半が駄目。「出雲大社と大社造の本殿」について話すのだが、とくに建築様式的な内容はまったくつまんないようで、みなさんよくお眠りでした。ここは大幅にカットだな・・・もし来年もチャンスが与えられるならば、「大社造の本殿」部分を削除しないといけません。といいつつ、来年お呼びがかかる保証はなく、かりにお声がかかったとしても、今年の反省を忘れて、また同じパワーポイントで話すかもしれない。
1年が経つのは速い。速いけれども、物忘れはもっと速く進んでいる。
初日の夕方、JR大社駅の近くまで蕎麦を食べに行ったら定休日で閉まっていた。稲佐ノ浜まででてみると、夕陽が海に落ちていく。ものすごく大きな大陽がいままさに水面に沈んでいこうとしていて、砂浜沿いの駐車場にはカメラ愛好者が三脚をたてて列をなし、ロマンチックなムードに浸るカップルも少なくない。
なるほどこれが「天日隅宮」か・・・日本書紀では「天日隅宮」、出雲国風土記では「天日栖宮」と書く。いずれも訓みは「あめのひすみのみや」。陽が沈むところにある宮殿(神殿)という意味であり、定説としては、大和を中心として伊勢神宮が「陽がのぼる」側、出雲大社が「陽の沈む」側である。
大國主の時代、海がもっと大社近くに迫っていたとすれば、天にもとどく高大な神殿から海になだれ落ちる大きな太陽が望めたはずだ。ロマンチックな夕暮を大國主も堪能していたんだろうか。
- 2009/09/21(月) 00:11:58|
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