学生時代、サッカーチームの1年下に松江出身の後輩がいて、「目糞、鼻糞を嗤う」戦いをくりひろげていた。松江出身と言えば『
孫子』の著者も同じだが、かれは文学部の先輩。サッカーの後輩は工学部。
大根島は島根の領土か、鳥取の領土か。これが後輩との論戦の主たるテーマであった。
松江の後輩はもちろん島根のものだと言い、わたしは違うと主張した。中海は島根と鳥取で領海を分けているのに、その境界線に浮かぶ大根島のすべてが島根の領土であるはずはなく、境界線より東側は鳥取のものだという無茶苦茶な論理で抵抗したものだ。
その大根島を初めて訪れた。わたしはこれでも離島研究者のはしくれで、日本海に浮かぶ離島を研究テーマとしていた時期があったのだが、大根島をフィールドにしようと思ったことはない。中海干拓の影響があまりにも強烈で、大根島を「離島」のカテゴリーの外においやってしまったのだろう。
中海干拓の中止は2002年、『離島の建築』を出版したのがたしか2000年だから、完全なすれちがいになる。
干拓用の橋を抜けて大根島に入ると「島」の匂いがぷんぷんしている。文化人類学の成果に従うならば、「島嶼性」は定義しえないものなのだという。島が島であることのアイデンティティを抽出しようとしても無理だということ。しかし大根島には、島根半島や弓ヶ浜半島とはまったく異質な風景が間違いなくある。
大根島は火山であるらしい。火口にあたるのが大塚山で、その標高は42m。地形は全体になだらかで、一面に畑がひろがっているが、かつては放牧も盛んだった。いまは牡丹栽培が有名。
ちょっとおかしな喩えかもしれないが、済州島を模型にしたような感じがしないでもない。
島の中央南寄りに「由志園」という庭園がある。門脇栄が昭和50年に完成させた和風庭園。庭をみたあと、土産を物色したのだが、大根を加工したものがまったくないことを不思議に思って、店のお嬢さんに「大根のお土産はないんですか」と訊ねた。
「高麗人参を作っていたんです、秘密でね。
ばれちゃいけないから大根島って呼んだんですよ・・・」
たしかに店頭には「高麗人参」ならぬ「雲州人参」の商品が山のように並んでいる。高価な品ばかりで手がでなかった。
上の地名起源には異説もある。「大根(だいこ)」を「タコ」の転訛とみる説。杵築御崎(きづきのみさき)のタコを捕らえた大鷲がこの島に飛来した。だから、「タコ島」という名前がついたのだと出雲国風土記は説く。
浜辺に沈没した廃船の群れの向こうに島根半島のシルエットが映る。稲佐ノ浜とは質のちがう哀愁を感じ、二夕続けてシャッターを切り続けた。
- 2009/09/22(火) 00:30:42|
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