
10月10日(土)。鳥取城跡(籾蔵跡)発掘調査現地説明会がありました。もちろん、僕も参加しないわけにはいきません。今日は、現地説明会の様子についてレポートいたします。
午後1時半から現地で説明会があり、定刻前から多くの方が集まっていました。遺構の中に踏板が敷いてあり、歩いて遺構を見学できるようになっています。遺構を見学しながら市埋蔵文化センターの職員の方から遺構について説明がされました。

最初に、籾蔵跡の説明がされました。この地域はもともと湿地帯で、袋川が蛇行して流れていることにも関係していますが、この下流域は水道谷という水源地になっていた位置にあたります。江戸時代以前には「沢市場」という集落があったとされています。この湿地帯の影響で地盤が緩くなっていて、地盤を固めるために地業などを行ない、しっかりとした地盤改良を行なっていたことが伺えます。また、遺構内には石組みの水路が張り巡らされていていますが、沈下防止のための胴木を置き水路を築いています。
籾蔵に並行して石組で枡状の溝には、鳥取監獄に関係する遺物が見つかっており、監獄のような建物があったと考えられ、また籾蔵の建物を鑑別所として転用し、その際に改修を行なっているとのことです。その後、監獄を壊して女学校が建設されます。監獄を取り壊したときに出た廃品(出土した弁当箱や汁茶碗)などを溝にほうりこんで埋め、その上に女学校を建てたそうです。なお、遺構の説明はエアポートさんも前回のブログでレポートしておりますのでそちらもご参考ください。

今回、籾蔵跡や県立高校の前身である鳥取高等女学校校舎および講堂の基礎跡や鳥取監獄に関連する遺物などが見つかり史跡としての価値が一気に高まり、卒業研究「史跡と共存する校舎の設計」の社会的意義が一気に高まり始めたように思います。この東グラウンドの遺構も、もちろん無視できない重要な意味をもっています。
今後の課題としては、遺構面をどのぐらい校舎の一部として利用するのが鍵となるでしょう。遺構の表現ばかりに目をやっていると肝心の校舎としての機能が失われますが、両者は相反する要素ではなくて十分融合できるものだと思います。
10月21日(水)に卒業研究中間発表が迫っています。これから、睡眠時間を削って意義深い発表にしたいと思っておいます。【アシガル】
- 2009/10/15(木) 00:01:00|
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