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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

2009年度卒業研究中間発表会のお知らせ

 2009年度卒業研究中間発表会が10月21日(水)に開催されます。会場は28講義室です。
 各研究の概要は「続き」に掲載しています。

16:42-16:54 1062007 門脇 史知(制作)
        「よみがえる門 -古民家裏木戸の復元-」
        The Gate Rebirth
        -Reconstruction of the Back Gate in Traditional Houses-
16:54-17:06 1062031 森 吉宏(制作)
        「鳥取城三ノ丸高等学校 -史跡と共存する校舎の設計」
        High School of Tottori Castle Third Dungeon 
        -Design for School Buildings Co-existed with The Historic Site-
18:09-18:21 1062002 宇田川 恭平(論文)
        「建具と内装の修復 -加藤家修復プロジェクト The LAST-」
        Renovation of fixtures and interiors
        -THE LAST of Kato family's residence restoration project-
18:21-18:33 1062004 大給友樹(論文)
        「石窟寺院への憧憬 -岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流-」
        Dream for Stone Cave Temple
        -Typology and origin of Buddhism hall constructed at cave or cliff-


1062002 宇田川 恭平(論文)
建具と内装の修復 -加藤家修復プロジェクト The LAST-
 浅川研究室では2006年度から「セルフビルド」「ゼロエミッション」「ローコスト」をモットーに加藤家住宅の修復活動を続けてきた。最終年度にあたる今年度は、内装を中心とした修復活動をおこなっている。その内容は、①石造カマドの復原 ②土間式台の復原 ③小舞壁土塗り、④竹雨樋の設置、⑤建具の再設置、⑥軸組構造の補強など多彩であるが、本研究ではとくに「建具」に着目する。
 2006年度の修復では、小型の油圧式ジャッキを用いて、柱を1本1本リフトアップし、土台の差し替えや根継をおこなうとともに、ターンバックルで柱を引き寄せ、軸部の傾斜を矯正した。この場合、すべての柱が垂直を取り戻すわけではない一方の柱は左に転び、他方の柱は右に転んだりするのだが、軸部の全体ができるだけ垂直に近い直方体をなすように矯正するのである。この結果、修復前に3度近くあった柱の傾斜角はおおむね1度以内に納まるようになった。しかし、その一方で敷居-鴨居の内法寸法が伸び縮みしたり、柱の傾斜角の変化により、修理前に納まっていた襖・板戸・障子類が元に位置に戻らなくなってしまったのである。
 この問題を解決するにはいかなる方法が最善であるのか。それを加藤家住宅という文化財建造物を対象として検討し、実践する。古い建具を廃棄するのではなく、それをリユースしながら文化財建造物にフィットさせることの意義と方法を探る。

1062004 大給友樹(論文)
石窟寺院への憧憬 -岩窟/絶壁型仏堂の類型と源流-
 絶壁にたつ懸造の仏堂と言えば、三徳山三仏寺投入堂が全国的にも有名であるが、密教系の山岳仏教では全国的な分布をもつことが井口一幸の研究(『古代山人の興亡―懸け造り堂宇の謎』1991、『続 古代山人の興亡―懸け造り寺社巡礼 西日本編』1996)であきらかになっている。
 ところが山陰地方では、たんなる懸造ではなく、懸造と複合した岩窟(不動院岩屋堂【若桜町】・焼火神社【旧真言寺院/隠岐島前】)、懸造すら付随しない小さな岩窟のみ(摩仁寺奥の院【鳥取市】・大山寺・焼火神社)、それの正面に滝が落ちる例(鰐淵寺【平田市】・壇境の滝【隠岐道後】)など特殊な仏堂が散見される。本研究の前半では、以上の諸寺の歴史と建築を総観する。これには豊富な踏査・測量資料も積極的に活用する。
 さて、上記諸寺の由緒を調べると、7世紀以前の雑密(初期山岳仏教)の時代に開山し、平安時代に純密の寺院として再興されたという二重構造の縁起をもち、前者は「奥の院」、後者は「根本堂(本堂)」を中核とする空間領域にそれぞれ対応していることが分かる。現存する懸造の建築は平安時代中期以降のものだが、その「場所」もしくは「領域」は雑密段階の成立とみるべきものであり、神霊の棲まう「山」のなかの特殊な領域に「聖性顕現」を認めた痕跡を読み取れる。
 本研究の後半では、まず井口の先行研究(1991・1996)から日本全国における懸造系仏堂の分布と年代をあきらかにし、寺院の縁起にしばしば登場する「円仁再興伝承」との相関性を探る。一方、国外にも目を向け、中国南北朝時代の石窟寺院と懸造仏堂のあり方をさぐり、日本の岩窟/絶壁型仏堂と比較する。そして、日本と中国の岩窟/絶壁型仏堂の類型化を試みる。現状では、①初期岩窟型、②岩窟・懸造複合型、③懸造単独型の3タイプに分類でき、それらの一部は「石窟寺院への憧れ」として日本の初期山岳仏教で出現したという見通しを得ている。

1062007 門脇 史知(制作)
よみがえる門 -古民家裏木戸の復元-
 2007年、加藤家住宅の石垣が石工業者によっておこわれた際、かつて裏木戸が建っていた部分を研究室で発掘調査した。その調査により、礎石や石垣の側石などを検出している。また、加藤家住宅には裏門の古い扉板が残されている。以上のような第1次資料に加えて、県内古民家の類例などを参照し、裏木戸の復原設計・施工に取り組む。
 2006年度から続いてきた加藤家住宅の修復プロジェクトの基本コンセプトは「セルフビルド」「ゼロエミッション」(およびその延長線上にある「ローコスト」)である。この2点についての考え方を示しておく。
 1)セルフビルド: 設計はわたしが行い、施工はわたしと研究室の仲間が協働で取り組む。ただし、施工の要所要所では大工職人さんにアドバイスしていただく。
 2)ゼロエミッション: 古材倉庫に収蔵している材のうち再利用できる材はできるだけ再利用する。また、2回の公開ワークショップのために購入した新材を門の材料に転用する。ただし、すべての材料を廃材・古材にすると構造的不安定を招く危険性もあるので、新材を全く使わないわけにもいかないだろう。とくに基礎や金具については購入する予定。
 今後、まず実施設計図を煮詰めて3D化し、施工に移行する。できるだけ金具を使わず、継手仕口で組み上げる。大きなプラモデルのように部材キットを揃えて「とりぎんホール」に展示した後、裏木戸の原位置に建設する予定。

1062031 森 吉宏(制作)
鳥取城三ノ丸高等学校 -史跡と共存する校舎の設計
 鳥取市のランドマークとして市中から目をひく鳥取城跡。その国史跡と共存する校舎の設計をおこない、史跡や文化的景観と調査する現代建築のケーススタディとして提案する。
 まずは現在校舎が建っている三ノ丸について発掘調査、文献資料、絵図資料等を総合的に理解し復元的な研究を進める。それと併行して、現代的な校舎としての機能を細かく分析し、校舎と史跡が一体化した設計を目指す。以上の設計にあたっては、
  1.地下に埋もれた遺構表示のバリエーションの把握
  2.史跡の文化的景観と調和した建築意匠の検討
が不可欠である。1.については、①地下遺構の露出展示(石垣と複合させる)、②地下遺構の床面表示、③柱の部分表示、④現代建築内部における柱位置の取り込み、⑤現代建築内部における和室空間・小屋組の取り込み、⑥復原建物(外観のみ)、⑦復原建物(内部・外観両方)などのバリエーションが考えられる。これらのバリエーションを復原平面のなかに散りばめながら、校舎の現代的機能を充足させていきたい。
 現在、県立高校第2グラウンドの発掘調査(約2,000㎡)において鳥取城籾倉の遺構が多数出土し、県の文化財保護審議会が学校改築の現状変更に反対する要望書を提出するなど、久松山をめぐる保全と開発は風雲急を告げており、本研究「史跡と共存する校舎の設計」が大きな意味を持ち始めている。

  1. 2009/10/18(日) 00:30:41|
  2. 研究室|
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