昨日、1年生女子によって、わたしが摩尼山で遭難した件がレポートされていたので、少し詳しくデキゴトロジーしておきましょう。
2週間前の週末、デポというスポーツ用品量販店でトレッキングシューズを買ったのです。カインズホームで何年か前に仕入れずっと履いていた運動靴(1500円)が、かの大山登山で壊れてしまいましてね。大山登山の四合目あたりのすれ違いざま、某爺様に
「靴底に鉛が入っとるじゃないだか」と形容されたその運動靴ですが、登頂後、靴底に大きな亀裂が入っていることを発見。ですから、下山はきつかった。
デポという量販店は「この店より安い商品をみつけられたら返品いたします」とポスターに明示しているだけのことはあって、たしかに諸々商品の値段は格安です。登山靴は15000円も払えばそうとう良い品があるのですが、わたしはその半額の靴にしました。「最後の1品、展示のもののみ7800円」だそうで、靴のサイズは26センチのドンピシャ。じつは、エンジ色を使ったもっと格好よい靴にしたかったのだけれども、やはり値段にはかないません。そういうご時世というか、人生というか・・・驚いたのは靴下ですね。スキー靴と同じように、登山靴にも専用の厚手の靴下を穿かなければならない。買いましたよ、1足1500円もする靴下。
で、8日の久松山(鳥取城)でお披露目するはずでしたが、
台風18号でスルー。1週間待った15日、快晴の摩尼山でデビューを飾ったのです。もちろん厚手の専用靴下も穿きました。そして、石段を登りはじめた。快適ですねぇ・・・よたよたの足下がしっかりし始めた。でも、スピードはでません。ともかく登り坂は駄目です。ジョギングでも登り坂はやはり苦しい。平坦地なら、若者と同じスピードで歩くことはできるけれども、登り坂はとてもかないません。ドンジリがわたしの指定席であります。
門前から立岩まで約30分。十分グロッキーしましたね。そこから先、奥の院にかけての道はきつい下り坂で、岩盤がところどころに露出している。2年生の女子学生が2度転んだので心配していたところ、今度はわたしが岩盤上でスリップ。強烈なバックドロップ状態でありまして、わがトレッキングシューズの靴底では岩盤の滑りに耐えられませんでした。

それはさておき、摩尼寺「奥の院」の岩窟と岩陰の2重仏堂には圧倒されます。上層の岩窟はその奥に小さな仏龕をほりこんでいて、なかに「石塔」を祀っています。わたしは
雲岡石窟第1・2窟を思い起こしました。雲岡のなかで最初に掘削された仏堂で、なかに塔を祀っています。摩尼寺「奥の院」岩窟仏堂が雲岡石窟第1・2窟のミニチュアのようにみえたということです。
岩窟の地盤はそのまま下層の岩陰の屋根になっています。リーゼントヘアーのようなすごいでっぱりでして、その下には2箇所に仏を祀っている。そのうちの一箇所では石仏だけじゃなく、木彫仏までおいてあります。この2層構造はただものではない。しかも、その下の平坦面には礎石や基壇縁石がずらりと残っている。この平坦面が自然地形を掘削・整地した「加工段」であるのは間違いありません。ただ気になったのは、石が平坦面に続く傾斜面にも部分的に伸びていることで、あるいは「懸造」の本堂であったのかもしれませんね。ここで二つの歴史的展開が想定されます。
A群: 岩窟・岩陰による二重構造の仏堂
B群: 平坦面に礎石・縁石を残す木造の仏堂
と分類した場合、A群とB群が一連のものとして「奥の院」が成立した可能性とともに、B群が建設される以前からA群が存在しており、B群はA群にあわせてある時期に複合化した可能性もあるでしょう。わたし個人は後者の可能性が高いだろうと思っています。


いま雑木が多く生い茂っていますが、これを取っ払うと、A群とB群は一体化したものであることがあきらかになるでしょう。下山にあたって、部長と黒帯が岩窟を視察に行ったのでそれにつきあってみたのですが、岩窟からB群の木造建築遺跡をはっきり見下ろせるのです。
というような指示をしていると、残りの学生たちはもういなくなっていました。部長・黒帯・轟の3名は測量器材を担ぎ別コースで下山していくので、わたしは一人でもと来たコースを歩いてゆきました。最初は夕焼けの山道に酔いしれていた。ところが、「つるべ落とし」に足をすくわれてしまったのです。急にあたりが暗くなり、不安な気持ちを抱えながら下山していくと、Y字状の三叉路に出くわした。よ~く考えて左に折れるコースを進んでいきました。しばらくすると、右手に石仏群があらわれた。あっれっ、こんなのあったかいな、と不安が増し、さらにしばらく歩いていくと、登り坂になってしまった。これはおかしい。急ぎ、三叉路まで引き返し、もう一方の道を進もうとするのですが、それは兔路でした。
「これ以上、動いてはいけない」
その三叉路で決断し、アシガルに電話したのです。
「みんな境内で待ってますよ・・・」
「いや、わたしは遭難した。いまY字状に枝分かれした三叉路にいるんだ」
「そこを左に曲がるんですよ」
「そうかい。いったん左に曲がったんだが、途中でおかしいと思って
引き返してきたんだ。それにもう暗くてまわりがみえない」

じつは、この日、通勤前に愛用の遠近両用眼鏡を探し出せず、代用の古い眼鏡をかけていたこともあり、まわりはぼっとしてとてもみえにくい状態で、仮に道を進んだとしても危険な状態であるのはあきらかでした。
「まわりが見えないし、携帯の充電も切れそうだから、
携帯のライトをもっている若い学生二人で迎えに来て欲しい」
「了解です」
それから15分後、わたしはミッキー君とF君に出会った。F君がもっていたLEDのライトが足下を照らしてくれた。なんでも、オマケのLEDライト付キーホルダーらしい。さらに10分後、アシガルがご住職からお借りした大型の懐中電灯をもってあがってきた。こうして、暗闇の登山路を前後のライトで照らしながらゆっくり下山していったのだが、六角堂の手前あたりでまたしてもバックドロップ転倒。左の掌から出血をみた。
おかげさまで、午後7時ころようやく境内に辿り着いた。ご住職が笑顔でお迎えくださり、双方安堵しました。学生諸君には、ほんとうにご迷惑をおかけしました。この場を借りてお詫びし、感謝申し上げます、とほほ・・・
- 2009/10/20(火) 00:25:44|
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