襖表装 VS 障子紙 さてさて、職人さんたちの技の披露とは別にイロリ間では襖表装の張り替えと障子紙張り替えの作業が進んでいました。襖表装の張り替えは明石高専5名、障子紙張り替えは環境大学多数という役割分担。
襖表装張り替えのアドバイザは、すでにお馴染み、表具師の小林さんです。小林さんにはずいぶん前からワークショップへの参加を要請しており、「当日は実演と指導をお願いします」と頼んでおいたのですが、ご本人は「実演」の予定がまったくなかったようで、いざ「実演を!」とお願いすると困った顔をされてしまいました。仕方ないか・・・という顔をされて、まずでた言葉が「ポンチ」。框の釘を緩めるためにポンチが必要なのですが、事務局側が用意しておりませんで・・・、どうやらほかにも道具が足りない。
ここでついに観念されました。「車まで道具を取りに行ってくる」とのこと。助かりましたね。事務局側の段取りのわるさが露呈した格好でじつに恥ずかしい限りなんですが、小林さんはだんだん上機嫌になっていかれました。なんたって、明石高専の学生さんはみな女子ですからね。午前から午後にかけて小林さんと明石の学生さん4名は表装替えに没頭。フチオコシで外した縁(框)の番付からして相当複雑でして、裏張り、受け、表装と大変な作業を黙々とこなしていただきました。ありがたいことに、用意していた7枚の襖のうち6枚まで張り替えを終えられたのです。
ほんとうにありがとうございました。どういうわけか、池田住研の中西くんも感謝しておりました。
一方、環境大学建築・環境デザイン学科有志は障子8枚の張り替えに奔走。天気が良かったので、裏庭に障子を出してどんどん古い障子紙を剥がしていき、流れ作業で新しい紙を貼っていきました。ゼミのメンバーだけでなく、新任のE先生やデザイン系の女子学生も明石高専に負けじと活躍してくれましたよ。紙の張りがちょっと弛んだりしたところもあったけれども、まぁ良いんじゃないでしょうかね。みんなよく頑張ってくれました。
午後3時からは裏木戸の復元設計に係わる検討会を現場で開催しました。発掘調査から基本設計に至る流れをガードが説明し、基礎・素屋根・屋根葺材についての叩き台を示し、専門家からのご意見をうかがいました。なんとか基礎については方針が定まりました。屋根葺材については、コケラ葺・杉皮葺・板葺など植物質の材料にこだわる意見もありましたが、わたしが「メンテ最優先」との方針を強く主張しました。「茅葺き屋根をあきらめよう!」と主張しているのに、樹皮葺きやこけら葺きを採用するわけにはいかないのです。裏門の葺材は、おそらく主屋と同色の鉄板葺となるでしょう。今後、ガードは継手仕口の学習を深め、急ぎ実施設計図を完成させなければなりません。
午後3時半からは庭で講評会。また折りたたみ式の机を杉苔の上に持ち出しました。文化庁のN調査官、文建協のY主任技師、県教委のM文化財主事、さらに明石高専のY先生から、次々と大変好意的なコメントをいただきました。好意的すぎて、ちょっと公開するのが恥ずかしいので、詳細は報告書に掲載させていただきます。
第2回公開ワークショップの記帳者47名。第1回も大成功でしたが、今回もまた大成功を納めました。OBを含む研究室・魯班営造学社のメンバーはもとより、県外からかけつけてくださった皆様、県内文化財関係者の皆様、職人の皆様、一般来場者の皆様、環境大学教職員・他研究室の学生諸君に対し、この場を借りて深くふかく感謝申し上げます。(完)
追記: 余談ではありますが、みんな疲れたよね。
現場の後かたづけをした学生諸君を連れて、軽い打ち上げにと駅裏の「千代志」に足を運んだのですが、疲労困憊のため放心状態に陥って、口をきくことすらできない・・・その後、深夜バスで東京に帰るチャックを見送りに駅まで移動。服部珈琲でスィーツと珈琲を口にしたら、少しずつ体力が回復してきたんですが、最後の最後にとんでもないオチが待っておりました。これについては秘密でございます。
*山陰中央新報と日本海新聞が記事にしてくれました。下の画像をクリックすると拡大表示され、記事が読めるようにしています。
- 2009/10/23(金) 00:09:16|
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