わたしと科研申請の相性は、どうしてここまで悪化してしまったのか?
先週末が申請書作成の山だと考えていた。22日(木)、若桜で岩屋堂・鬼ヶ城訪問を終え、「道の駅」で解散して
戸倉峠を越えた。鳥取自動車道が開通して以来、志戸坂峠越えが圧倒的に速くなり、戸倉越えは久しぶりのこと。とてもとても長く感じた。なにより眠かった。ゼクストン同窓会、公開ワークショップ、村治コンサートと続くイベント攻めに若桜でのトレッキングも重なって、疲労はいっこうに癒えない。山崎のお好み焼き屋に入って1時間ばかり休憩。そして、中国縦貫道に上がったのだが、睡魔は衰えず、ついに平福パーキングで小一時間睡眠をとった。奈良の家に着いたのは深夜12時前。患者はすでに眠りについていた。
いつのもようにパソコンを開き、無線LANの接続をまってネットを開こうとするのだが、うまくかない。ここでまた小一時間浪費。そして、ヤフーBBのモデムをみると電気が通っていない。事情をようやく理解した。モデムに水がかかったか、デブ(うちの猫)が悪さをしたのか、その日の夜から通信機が壊れてしまって、娘や息子もネットを使えなくなっている。
ヤフーBBが使えない。
みなさん、自宅でネットの使えない恐怖を味わったことがありますか。
仕事ができない。科研申請はどうしたらよいのか・・・・翌朝、ニフティのサポートセンターに連絡をとり、複雑きわまりない「電話回線接続」の復元を試みて、なんとかネットに接続できいるようになったものの、異常にスピードが遅く、ウィルスバスターのアップデートだけで膨大な時間を費やし、容量の大きなメールの添付資料の受信にエラー連発・・・・
意を決して、深夜から「コミックバスター」という漫画ネット喫茶に浸入。2夜連続、明け方までコミックバスターで仕事した。ネット喫茶は快適だ。ドリンクバーが充実してますね。ソフトクリームやフローズンシェイクまでついていて、作業の合間の息抜きには最適です。しかし、科研申請にはさらに大きな障壁が待っていた。ログインIDとパスワードがないと、申請用紙すらダウンロードできない。大学ではすでにそれにトライしていたのだが、ログインIDとパスワードの記された書類を大学においてきている。ヘルプレス・・・仕方がないので知人に頼んで申請用紙を転送してもらった。ここで半日消費。
25日(日)の昼ごろ、ヤフーから新品のモデムが届いた。これでやっと自宅で仕事ができる。そして、申請書の作成にとりかかった。一夜あけて26日(月)、できるだけ早めに大学に帰って申請書に集中しようとしたところ、母の住む介護系マンションより電話あり。母がまた転んだのだという。「転ぶ」のはすでに日常茶飯事になっているのだが、この日は症状が重い。食事の際、スプーンや食器がもてないほどの痺れがみとめられるというので、施設に飛んでいった。母は事務室の中で車椅子に坐っていた。救急車が手配された。近鉄奈良駅に近い病院に運び込まれ、MRIやらなにやら検査がおこなわれ、「脳梗塞」が判明した。即入院。もちろん帰鳥をあきらめた。
27日(火)の午後まで母の容体は不安定だった。脳梗塞は何度か経験しているが、今回は危ないかもしれない、という不安が消えなかった。夜になって恢復の兆しをみせ始めた。
この雑文を書いている28日(水)が科研申請の学内〆切。わたしはまだ奈良にいる。「研究目的」だけはなんとか書けた・・・あとは神仏にすがるのみ。
追記: 夜の9時半過ぎに家を出た。
順調に車が進むならば、深夜の12時半か1時に大学に着くだろう。しかし、ここでまた脳梗塞に行く手を遮られた。ただでさえ自然渋滞の多い中国縦貫道宝塚トンネルの中で、じつに2車線の道路改修工事をおこなっているのだ(上りも下りも)。まだ10時代で、交通量は決して少なくなっていない。またたくまに6キロの渋滞が発生した。6キロなら20~30分で抜けることができるだろうと思ったが、道路標示では1時間となっている。そして、実際には1時間半を費やした。高速特有の、時速20~30キロののろのろ運転ではなく、正真正銘の渋滞。停まっては少しだけ動き、また停まっては少しだけ動く動脈硬化。トンネルに血栓ができて、血が流れない。
怒ったトラックの運転手たちは、車中にたまった煙草の吸い殻や缶珈琲の空き缶を柵の向こうの現場にむけて放り投げていた。
高速代を返してほしい。
- 2009/10/30(金) 00:11:27|
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