
10月22日(木)、前日に中間発表も無事終わり、以前より予定していた古材倉庫の撤去を始めた。この日は、池田住研の職人さん3人と魯班のナオキさん、ガードで作業をおこなった。翌23日も作業は続いた。
悔しさと儚さと 午前中から作業を開始。古材倉庫を解体する前に倉庫内にある木材を外に出して、裏木戸の材として転用できるものがないか、池田住研さんの力も借りて調べた。古材倉庫内には栗や杉などの木材が保管されていた。残念なことに杉材が多く、私が必要とした栗などの針葉樹は少なかった。しかも、もっと残念なことに、保管されていた栗は虫食が少なくなく、貫穴などがいくつもあり、池田住研さんに「諦めなさい」と言われた。しかし、ここで私は挫けず、残っている杉材で何とか裏木戸に転用できるものはないか池田住研さんにうかがっった。しかし、「杉材は雨に濡れるとすぐに駄目になってしまうしから裏木戸には向いていない」と言われた。私はそれでも何とかならないものか挫けず聞いたのだが、「ここの木材は諦めた方がいい」と言われた。私は悔しさを噛みしめ、諦めることにした。その後は、木材をひたすらトラックに積んでいった。私は悔しさをバネに木材をトラックに積んでいった。

ある程度木材をトラックに積んだところで、倉庫の解体に移った。初めに壁として貼り付けていたトタンやベニヤ板を剥がし、次にクランプを外し、単管パイプをバラしていった。ここで私は、ベニヤ板を剥がしたり番線の切断、外されたクランプ・単管パイプを1箇所に集めるなど、比較的安全な作業に従事させていただいた。池田住研さんのみなさんは軽い身のこなしで倉庫に登り、躯体を解体していった。この作業は昼休憩を挟んで続いていった。倉庫はまたたくまに解体された。じつはこの倉庫、私が1年生後期のプロジェクト研究2「セルフビルダー養成講座」で半期を費やし建てたものなのだが、解体はわずか数時間で終わった。解体されていく古材倉庫を見て一瞬儚さを感じた。
無事解体が終わり、この日は作業終了。と思いきや、2つの問題が草むらに眠っていた。1つは大きな松の梁だ。これは太く長い。以前運んだ時も、かなりの人数が必要だったの憶えている。梁は4つに切断した。池田住研のみなさんがあっさり梁を切り分けた。これで池田住研さんの1日目は終わった。2つ目は草むらに眠るトタンだ。トタンは私とナオキさんで草むらから運び出した。池田住研さんが帰られた後、すぐにトタンを運び出す作業を始めた。作業はすぐに終わるだろうと思っていたが、意外にトタンの量が多く1時間しても草むらからトタンが消えなかった。仕方がないので、作業は2日めに残すことにした。

ありがとう、古材倉庫! 私とナオキさんは朝7時からトタン運びの作業を再開した。2人でせっせとやっている間、加藤家ではもう一人動いている男がいた。その名は黒猫。前日に教授と話し合い、必要のない建具などを運び出す事になったからだ。屋内外の作業を併行して進めた。私とナオキさんはようやくトタンを出し終え、素屋根用の単管パイプの確保に移った。単管の確保が終わると同時に池田住研さんが到着し、2日目の作業が本格的に始まった。初日に積めなかった木材や単管パイプ、トタンを積んでいった。私とナオキさんで運び出したトタンはトラック1台をまるまる使って積み終えた。その後もどんどん木材や単管パイプを積み、全部積み終えたところで黒猫君が待つ加藤家に向かった。加藤家に到着すると、20枚程の襖が私達を待っていた。それは但馬時代のタクオさんの遺産である。この襖をすべてトラックに積めるのか心配になったが、やはりプロの方は違う。襖を積むことも計算に入れ古材倉庫の廃材を積んでいたので、ギリギリではあったがなにもかも積載できた。これにて無事に古材倉庫の撤去が完了した。撤去が完了した敷地はかなり広く感じ、ここでならサッカーできるなとふと思いました。
今後は、素屋根を作ったり、裏木戸の実施設計図を煮詰めたりと大変ですが、頑張っていこうと思います。最後になりましたが、お忙しい中、池田住研さん本当にありがとうございました。
そして、古材倉庫、今までありがとう。 (ガード)

撤去完了
- 2009/10/29(木) 00:00:18|
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