
11月8日(日)~9日(月)の2日間、:轟、武内、黒帯の3名で八頭町柿原の千手院跡と窟堂の測量をしてきました。10月29日(木)の
第5回「修験道トレッキング-山を歩く-」で探索した寺院跡です。
作業目標: 道路から敷地内の窟堂・平坦面を測量・実測し、平面的な関係性
(石垣・石段・岩窟等の位置)を把握できる野帳を作成。
岩窟のスケッチと寸法記入。
11月8日 器械設定が......できない 朝8:30に大学に集合。9:00から現場で実測調査を開始。この日は現場の再確認とトータルステーションを用いた平坦地の測量をおこなった。窟堂と窟堂に続く道からはじめようとしたが、あまりにも樹木が多くて正確な側量を行うことが難しく、初めてトータルステーションを手にした僕は戸惑ってしまった。じつは窟堂のスケッチを2年生にお願いしようとしているところで、そのスケッチをおこなっているときに一緒に窟堂付近の測量もしようということにしました。
そこで窟堂より下にある段々畑のような平坦面の測量に作業を変更。初めて測量に挑戦するので気合いを入れてやってみたのですが、トータルステーションの設定がうまくできない。器械設定にかなりの時間が奪われ、測量の時間が大幅に削られてしまいまいました。測量が思うように進みません。側点の記入をポケコンでやろうと思ったのですが、接続コードがない・・・方眼紙に座標を手書きで記入して・・・とモタモタしているうちに陽が傾き、この日はほぼ現場の再確認とトータルステーションの練習で終わってしまいました。
帰ってから、手書きの座標をポケコンに入れてみると・・・意外と図になっています。でもやっぱ器械設定ができません。
黒帯さんに訊ねると、研究室にはもう一つ、レーザー測量機なるものがあるとのこと。以前、摩尼寺奥の院の測量で使われていたもので、平坦面ならこの器材でもできるらしく、使い方も分かるみたい。その言葉を信じ、翌日はレーザー測量機を使って測量することに。しかし黒帯さんはレーザーよりトータルステーションが使えたほうが良い(精度が高い)と言っておられ、現在勉強中です。

11月9日 新たなる発見 天気が悪い。この日も朝8:30に集合。が、前日も朝早くから測量し、夜遅くまで自分の課題をこなしながらレーザー測量機の練習をしていた皆、かなり疲れていて、僕も5分遅刻で行ったがだ、れも来てなくて、待ちぼうけ。結局9:30に測量開始。
予定どおりレーザー測量機で平坦面を測量していく。なるほど、これはスゴイと思いながら前日とは比べ物にならないスピードで測量を進めていき、徐々に上面にあがっていった。昼前までには平坦面の半分近く測量を終えた。ある程度目途がついたら昼休憩を取ろう、と思ってレーザー測量機を覗き込んでいると、レンズの向こうになにやら建物らしきものを発見。すかさず近くにいた武内くんに聞いてみる。
「あそこになんか建物みたいなのない?」
「ある、あるよ」
黒帯さんも駆けつけ、測量を中断し3人で見に行くことに。千手院の敷地内に、あまり大きくないが「有本神社」なるものを発見。明治以降の神仏習合の名残りか。しかし神社自体は古くないように見える。

さらにあたりを詳しくを探索してみると、今度は石碑列や、五輪塔のような小さな石積みを発見。石碑は黒住教関係のもの、梵字の入っているものがあり、年代は新しいものは大正時代、古いものは江戸時代のものまであり、中にははっきりと「千手院」「千壽院」と彫られているものもある。いつ建てられたのか、いつ廃墟になったのか、年代がわかっていない千手院。時代判定のよりどころになる証拠を発見できて、少々感激した。
石碑を見ながら上っていくと、さらに平坦面を発見。しかもかなり広い。これは相当な規模をもつ大伽藍だったのではないか。それとも柿原の集落の延長か。色々な推測ができるが、今の僕では知識が足りない。それにこのまま探索を続けけていても、測量が進まない。探索はあきらめて昼休憩し、測量を再開。しかし陽の沈むスピードは速い。そして、敷地内は暗い。雨も降ってきて、これ以上測量
できない。ここで今日の作業は終了。
この日は黒帯さんに笑わせてもらいました。2日連続の測量疲れ、寝不足のせいか、妙に足元が定まっておらず、いつもの軽快なフットワークは影をひそめ、こけるはすべるは泥沼にはまるはで、笑いの神様が光臨されていました。
機材の使い方や測量の方法も勉強していかなければならないし、雪が降るまでに何とか測量を終わらせないといけないこともあり、少々あせっている轟がお送りしました。(3年 轟)
- 2009/11/13(金) 00:16:30|
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