3.建物Aの復元遺構解釈と平面の復元: 他の3棟とは違い、塀の外にある西側ブロックの遺構である。発掘調査範囲が狭く、また溝で削平されているため、検出した柱穴は5つのみであり、全体平面は未だ不明と言わざるをえない。記者発表によると西側に1面庇をもつ建物とされているが、東側は溝状遺構の攪乱があり、また、家形埴輪に片面庇の例を発見できなかったので、わたしたちは桁行5間(8m)×梁間4間(6.2m)の2面庇に復元した。端間が1.4mと狭いため、桁行5間の中央間を2.4mと広くして、ここに扉を設けた。脇間・端間には窓を設けた。
上部構造の復元: 基本的な軸組・小屋組等の構造は他の3棟と同じ。建物Bと同様、平屋の切妻造家形埴輪である大阪府岡山南遺跡(5世紀前期)、奈良県室大墓(5世紀前期-中期)の家形埴輪をモデルにした。通柱に接してころばし根太をわたし、その上に低い板張りの床を設ける。棟持柱は板壁に沿うよう真っ直ぐ立ち上げ、破風は建物Bと同様、男千木型とし、千木の数も奇数(7本)とした。
考察: 建物Aは、建物Dと同様に板壁・手摺りを持つ建物として格式をもたせた。規模は小さいが、西側ブロックの正殿をイメージして復元したのである。(部長)

4.門・塀の復元遺構解釈と平面の復元: 建物B周辺のトレンチから、一定の間隔をとって列をなす柱穴がみつかっており、塀の遺構と考えられる。門の遺構についてはみつかっていないという現場側の所見だが、塀の柱間のどこかを門としていたとしてもおかしくないだろう。今回は凸状に張り出した「守衛棟」エリアから1間おいて対称の位置に一門ずつ設けることにした。計二門となるが、この数の位置は建物C・Dの階段の位置に対応させている。
意匠の復元: 門と塀ともに、大阪府今城塚古墳(6世紀前半)で出土した塀・門の埴輪を復元モデルとする。
・塀…埴輪の上部にギザギザの突起があり、また表面に2本、線状の細長い表現が見られる。それぞれ、突起を持つ板状の材と、横桟と捉えた。これらの材を内側から柱で支える。外側の横桟と柱を紐で結ぶわけだが、こうするほうが内側から端正にみえる。横桟が目に入らないからである。
・門…埴輪に見られる左右の柱(柱の部分は発掘後復元したもの)と、上部の冠木状の材で構成される素朴な門。鳥居に似ているが、むしろ中国の烏頭門に近い構造。
考察: 左右対称の二つの門を「守衛棟」が防備するというイメージ。東を正面とみれば、この二門は裏門である。建物D4隅の階段、建物C両脇の階段、二つの裏門はいずれも推定だが、すべては建物Dが4間×4間という偶数間であるところに出発点がある。(きっかわ) 【完】

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復元CG制作: 鳥取環境大学建築・環境デザイン学科浅川滋男研究室 上の記載がない場合、不正使用とみなしますので、ご注意ください。
- 2009/11/28(土) 00:16:53|
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