文物・博物・考古関係論著の全国第1位!楊: そうそう、君が中国に来ないあいだに大きな賞をもらったんだよ。
A: そうなんですか。先生が受賞されたと聞いても、当たり前のことのように思えてしまうのですが、このたびはどんな賞を?
楊: 国家文物局の機関誌『中国文物報』を知っているでしょ?
A: はい。
楊: 2001年にね、『中国文物報』が「20世紀でもっともすぐれた文博考古図書の全国人気投票」を公開でおこなったんだけれど、わたしの『建築考古学論文集』(文物出版社、1987)が「論著類」部門で第1位に選ばれたんだよ。
A: 文物・博物・考古の全分野のなかの全国第1位ですか!?
楊: そう、歴代の全国1位さ。郭沫若が6位、夏鼐先生は4位で、わたしが1位だったんだ。
A: (絶句して)・・・それは凄いことですね・・・
楊: ほら、ここに新しい『建築考古学論文集』をもってきてるんだけどね。
A: あれ、ずいぶん厚くなって装幀が変わりましたね。
楊: 受賞を記念して、2008年に清華大学出版社から増補改訂版が出たんだ。これは君に贈呈しましょう。
A: ありがとうございます。(しばしページをめくり)659ページの論文集ですか・・・まいりますね。日本語に翻訳したら、軽く1500ページを超えるでしょう。わたしも、最近の研究成果をもってきているんですが、恥ずかしいなぁ・・・133ページの研究報告書です。
王: なに言ってるの、あなたはまだ若いわ。主人の歳まで、まだ25年以上あるじゃない。

左:『建築考古学論文集』初版本(1987:331p.) 右:『山陰地域の弥生時代建築に関する実証的復元研究』(2008:133p.)
A: いえ、25年経っても、楊先生の『建築考古学論文集』のような本が出せるとはとても思えません。才能そのものに雲泥の差がありますし、先生はフルタイムの研究者ですからね。わたしはすっかり田舎教師がイタについてきてまして、研究よりも教育に割く時間のほうが圧倒的に長くなっています。
楊: よい弟子を育てることだね。
A: えぇ、この『山陰地域の弥生時代建築に関する実証的復元研究』(
2007年度とっとり「知の財産」活用推進事業成果報告書)も学生の卒業論文を書き改めたものです。編集も学生たちがやってくれました。学生たちのおかげで、なんとかこういう研究が継続できて、報告書が出せているんですね。ただ、鳥取は弥生文化の宝庫でして、やり甲斐はあります。とりわけ青谷上寺地遺跡では約7000点もの建築部材が出土していまして、日本でこれだけ多くの建築部材が出た遺跡はほかにありません。弥生建築研究では、間違いなく、日本の最前線を突っ走っている遺跡でして、この報告書はその部材による最新の復元研究の成果を披露しています。
楊: ほう、7000点もの部材が出ているの?
A: はい、7000点です。すでに建築部材データベースの90%以上をインターネット上にアップしています。青谷上寺地の部材を組み合わせていけば、複数のタイプの弥生時代建築を復元することが可能なんです。建築部材だけじゃなくて、弥生人の脳みそとか鏃の刺さった腰骨とか、王莽時代の銭貨とか、信じられないような遺物が山のように出ている遺跡です。いちど楊先生をお招きして、部材などをみていただきたいと思っているんですよ。
楊: それは嬉しいね。弥生時代といえば漢代併行期でしょ?
A: そうです。しかし、中原や華北の漢代建築と日本の弥生建築には系譜関係がほとんどみとめられません。むしろ、先史時代の南方中国建築と弥生時代建築にはいくつかの類似性があると思っています。
楊: (グラビアの復元図を凝視しながら)なるほど、その通りかもしれない。それにしても、素晴らしい仕上がりの復元パースだね。
A: これはコンピュータ・グラフィックス(CG)です。わたしがラフなエスキスを描くと、学生たちがCADで図化し、CGで表現してくれるのです。ほんと、学生さまさまです。
楊: (さらにページをめくり)・・・うん、君は日本の「建築考古学」の第一人者だね。
A: そんなことはありませんよ。というか、「建築考古学」を専門にしている日本の研究者は二人しかいませんから、一方が1位なら、他方は2位ですからね(笑)。金メダルも銀メダルも差不多(大差ない)です。【続】
- 2009/12/05(土) 00:08:37|
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