サロマ湖の牡蠣(Ⅳ) 今回のブログはミッキーが担当します。今回のプロジェクト研究は、研究室の皆さんが修復している加藤家住宅で、今まで自分たちが調べてきた資料をワードでまとめ、簡単なプレゼンを行いました。そして、先生や先輩方のはからいで、発表後「
サロマ湖の牡蠣」までいただきました。牡蠣についてはプロ研の報告後に触れたいと思います。
今回の発表会の内容は以下の通りです。レポート形式でこれらの内容を掲載します。
(1)序 (2)摩尼山摩尼寺 (3)不動院岩屋堂 (4)岩屋山千手院
(5)霊石山と最勝寺 (6)まとめ
序 1年生のFさんが「修験道」「密教」の基本を概説し、山という漢字を「セン」と読む鳥取県の分布図を示しました。私を含めた全員が、修験道、密教という複雑で難しいテーマに苦戦しているのを感じられた先生が、認識の不透明な部分を、丁寧に噛み砕いて話してくださいました。
修験道とは、日本古来の山岳信仰に神道や仏教など、さまざまな要素が混じり合ってできた日本独自の宗教である。ただし、ここで勘違いしてはいけないのが、神道や仏教は古来の山岳信仰よりも後から導入もしくは成立したものであり、修験道はそれらの融合として平安時代以降に成立したとみなされがちですが、その大元にある山岳信仰は神道・仏教以前の信仰形態だということでしょう。修験道にとって最も重要な変革点は、6世紀前半に百済からもたらされた仏教が山岳信仰と接触した時でしょう。一方、神道はといえば、仏教勢力の増幅に対する反発として天皇家を中心に日本古来の祭祀を体系化したものと考えられますが、宮中祭祀の影響が濃厚であり、宮中祭祀を媒介として中国の陰陽五行・易・道教などの諸思想が神道に含まれるようになったと考えられます。修験道は山岳信仰と仏教が融合する段階を出発点として、その後、神道の影響も受けるわけですが、神道がもっている陰陽五行・易・道教の要素も修験道に含まれるようになっていくのです。

密教についても発表がされましたが、これもまた複雑でした。キリスト教などの宗教は超越した対象物を信じ、すがることで幸福を招来するという性格をもっています。しかし、本来のインド哲学(古代仏教)はそういうものではない。「宗教」とは少し異なるものなのです。仏教とは古代インドの哲学であり、根本は誰かを信仰するということではありません。人間はみな「仏性」を備えており、その仏性を高めるために個々が修行する。修行の頂点にあるのが解脱、すなわち「悟りを開くこと」であり、それにむけての修行を「実践」することこそが重要なのです。
インドで7世紀ころにおこった密教は、釈迦という存在を宇宙の普遍的原理の一つのサンプルにすぎないとし、普遍的原理の中心にあるのは「大日如来」だと説きます。アインシュタインの相対性理論にも似た宇宙論を密教は説いているそうですが、経典の解釈に偏る文献研究を忌み嫌い、真理を会得するためには秘密の「修行」が不可欠であると考えています。おいもしろかったのは、Fさんが「密教は仏教の一派」と説明したことに対して、先生は「中学・高校ではそう習ったかもしれないが、密教の側がら言えば『仏教が密教の一派』というべきなんだ」と指摘されたことです。
鳥取県の「センと読む山」について、分布図も発表されました。鳥取県をはじめ、中国地方には~山を「ヤマ」「サン」ではなく、「セン」と呼ぶ山が多く存在するそうです。たとえば、扇ノ山,氷ノ山,那岐山,大山など。「セン」は呉音であり、隋唐以前の南北朝期における南朝の仏教が鳥取を初めとする中国地方の山岳信仰に影響を与えていた証拠となるようです。注目したいのは、仏教のユートピアをさす「(須)弥山」もまた山を「セン」と読むことですね。
摩尼山摩尼寺 「奥の院」についての資料がなかなか見つからないようです。開基伝説も竜女伝説と円仁縁起の両方があって、歴史的にみると前後関係に矛盾がみとめられます。ご住職や郷土史家などにヒアリングを行うことによってデータを充実させるという今後の課題が見えてきました。
不動院岩屋堂と岩屋山千手院 この2つはとても関係の深い縁起をもっています。両方とも文献だけでは研究が進行しないので、ブログにもコメントが入っていますが、まずは黒住教関係のヒアリングを始めようということになりました。

反省,次回の活動について 今回の発表会の自分に対する個人的な評価は0点です。担当した霊石山・三角山についての調査ができず、資料もまとめられませんでした。そのため、このブログにも掲載できていません…。このままでは情けないので、研究テーマを不動院岩屋堂に変更することにしました。次回までにヒアリング等の調査を行い、きちんと発表資料をまとめたいと思います。
次回の活動は、各自パワポでプレゼンします。ガチガチに緊張しないよう練習しておかなければ…。ほんと、次回からは頑張ります!
さてさて、発表している最中から気になって仕方がなかったのがサロマ湖の牡蠣です。調理方法は酒蒸しと焼き牡蠣。去年もゼミ生の皆さんは召し上がられたそうですが、私はもちろん初体験です。牡蠣が山盛りになっている鍋が並んでいる光景は、まさに圧巻でした。こんなにもの牡蠣を食する経験ができるなんて考えてもなかったので本当にラッキーです。
私たちは牡蠣を食べさせてくださった先生に感謝するとともに、来週の発表を頑張らなければと皆で話し合いを必死に続けるのでした。(ミッキー)

[追記] 今回の「サロマ湖の牡蠣」は、常呂町から奈良に送られてきたものを、黒帯とアシガルの強い希望により鳥取まで転送しました。家内と娘に頼んで宅急便で送ってもらったのですが、送料もバカにならないので、代わりに「白ワイン」を所望し、ふたりはちゃんと1本用意してくれていたのですが・・・現場に行くと、栓抜きがない。というわけで、ワインはお預け。
牡蠣には柚がよくあいました。この柚は部長が就活のついでに岡山県笠岡の実家からもってかえってくれたものです。鳥取の柚に比べると、ずいぶん小振りでスダチやカボスに近い感じ。さてさて、黒帯とアシガルですが、1・2年生とのミーティングが長引いてこんがらがり、あんまり牡蠣を食べられなかったのではないかな。炉端を占拠した他のメンバーは今年も悠々と貝塚の山を築いていきましたね。
- 2009/12/15(火) 00:04:28|
- 景観|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0