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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

シンポジウム「信仰の山-三徳山の世界」に参加して

パネリスト


 12月20日、卒業研究の参考になればとエアポート、アシガル、武内、私の4名で三徳山を考える鳥取県・鳥取大学合同シンポジウム「信仰の山-三徳山の世界」に参加してきました。私の卒業研究にも大きく関わる三徳山や山岳信仰、修験道の話まで専門家が実際に講演されると知り、このような機会を逃すまいと倉吉へ向かったのです。
 シンポジウムの次第を紹介します。

 会場  倉吉未来中心 セミナールーム3(定員195名)
 プログラム
 13:00~13:15 主催者あいさつ
 13:15~14:35 特別講演:「三徳山-人と自然のいとなみ」  山折哲雄潤ツ
 14:45~16:55 パネルディスカッション:「自然と人々の信仰からみた三徳山の姿」
  コーディネーター  濱田竜彦
  パネリスト     山本義孝、永松 大、山本邦彦
  総括        山折哲雄
 16:55~17:00閉会のあいさつ

 まず、山折先生の特別講演では山岳信仰の成り立ちについて話されました。昔から、日本では死者の魂は抜け出て山に登っていき、やがて神になると信じられ、魂の行方に大きな関心が持たれていたといいます。山の世界はあの世、麓の世界はこの世で、そこを行ったり来たりするのが、死者の魂だと考えられていたのです。やがて、6~7世紀に仏教が伝来し、その影響を土着の神信仰が受けました。
 その頃、太陽が沈む方角の西には生命の衰え、季節の衰えを象徴する魂の集合世界があるという信仰が世界中に存在していて、西のほうに浄土があるという理解がされていました。インドでも無限大という思想が発達しており、西の無限の彼方に浄土があるという考えでした。日本に仏教とともにこの考え方が伝わってきましたが、日本人にはこのように抽象的な「無限大」などの考え方を感じ取ったり、理解することが難しかったようです。そこで、日本では浄土はそのような彼方にあるのではなく、自分たちの生活圏を取り巻く山々にこそ存在すると読み替えていきました。ここで、インドにはない、国土のほとんどが山岳地に囲まれている日本ならではの山中浄土という考え方が生まれたのです。
 また、仏教が伝わる際にインドの観音は男でしたが、中国そして日本に伝播するにつれて女性に近づき、やがて子供を抱いた母子神信仰に結びつきました。山岳信仰はこれ以降、母子神信仰により家族の絆、特に母と子の絆を重要視していた側面もあったようです。
 この話を聞いて思い浮かんだのは、摩尼寺の竜女伝説です。この伝説では、帝釈天は男であるにも関わらず、産見長者の娘が帝釈天に変化したと描かれているので、どちらかというと女性的な印象を受けます。長者夫婦が所在知れずになった娘を必死に探したという記述も家族の絆を感じさせます。何か、観音が変化しながら伝わるプロセスと竜女伝説の成立が時期的に結びつきそうな気がしたのですが、どうでしょうか。


 特別講演の次は、パネルディスカッション。三徳山と大山の自然対比から始まりました。信仰の山というのは、高くそびえる大きな山を想像しますが、鳥取県でいえば伯耆大山があります。遠くからでも仰ぎみることのできる山。しかし、三徳山の場合は遠くからみたら、どこにあるのか分かりにくい。そういった意味では、両者は対照的な山だといえます。配布資料の水平断面図をみると大山は長い裾野につれて、少しずつ標高が上がっていくのに対して、三徳山は、非常に特徴的で急峻な尾根と深い谷になっていて地質構造が複雑なことがはっきり分かりました。谷の特徴を比較してみても、大山は、長く荒れた谷で深いが、三徳山の谷は繊細で趣がある景観になっています。それぞれの異なる個性が両者の山岳信仰山としてのポイントであると意見が述べられていました。このことから、大山と三徳山は一体のものとして捉える必要があるという見解が示されていました。

 印象に強く残ったのは、山本義孝さん(日本山岳修験学会理事)が植生や結界などをもとに霊山のレイアウトを図示されていたことです。山の断面図を用いて、一番高い層が「常寂光土(仏界)」と呼ばれ、ここは仏や神の世界で、磐座などが存在しても基本的には手を付けられないので、堂などの施設が建てられることはないといいます。下の二層目の領域は「実報厳土(菩薩界)」といい、修行の場なので堂社・窟・行場や断崖がみられ、これらに対して仏や神の名前をつけています。上層の常寂光土から実報厳土に仏を下ろしてきて、窟などに修験者たちが籠って修行をしていたようです。そして、常寂光土と実報厳土の領域の境に、山の中心的な堂が建てられることが多いというのです。
 これは、三徳山と投入堂の関係にもいえるそうですが、よくよく考えてみると、摩尼山と奥の院の位置関係も当てはまりそうな気がします。もし、奥の院の平坦地に建物があったとすれば立岩の場所が仏界に位置し、奥の院を境にして下の領域が、修行をしていた空間ではなかったかと想像しました。
 会場で意見で出ていたのは、三徳山の場合、着目するのは投入堂の建物だけではなくて、その上が重要であり、ここに神や仏を祀る空間があって、その下に窟があることに意味があるとおっしゃっていました。

 他にも、御幸行列のような祭の保存に関する討論なども聴くことができ、有意義な時間を過ごすことができました。特別講演をされた山折先生も、三徳山を考える場合はもっと広域的な視点を持つことが重要とおっしゃっていたので、三徳山を世界にアピールするチャンスをつかむためにも、多くの人々の共感を得られるような政策が必要だなと感じました。

 なお、県教委のご配慮で、ASALAB主催の「大山・隠岐・三徳山 -山岳信仰と文化的景観」のチラシを今回のシンポジウムの配布資料に混ぜていただきました。公聴していた人たちの興味深そうにチラシを読んでいる姿をみて何だか嬉しくなりました。会場も同じなので、宣伝効果は絶大だったと思います!
 ありがとうございました。(黒帯)

チラシ1チラシ2




  1. 2009/12/30(水) 00:00:51|
  2. 景観|
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