早朝5時半起床。仁川空港に着いたら昼前。リムジンに乗って忠清南道清州へ。そこから庄田さんという留学生の車に乗り換えて、午後4時、ようやく鳥致院にある高麗大学校考古環境研究所に辿り着いた。
どうですか、日本の考古学関係のみなさん、「考古環境研究所」って響きがいいでしょ!?
昨年までは「埋蔵文化財研究所」という組織名だったのだけれども、施設の改修とあわせて「考古環境研究所」に改名したのだという。この改組を実践したのが、李弘鐘(Lee Hong Jong)教授である。李教授はわたしと同年代で、若い頃は九州大学に留学し、板付遺跡の発掘調査に携わった。日本語はもちろん大変流暢。ちなみに、高麗大学は延世大学と並ぶ韓国私学の名門で、日本の早慶とよく比較される。大学の本部はソウルにあり、鳥致院の校舎は分校である。
今回の訪韓は、奈文研の先輩にあたる工楽さん(元埋蔵文化財センター長)のお誘いによる。工楽さんは青谷上寺地遺跡の発掘直後から調査指導を続けており、今年からは一緒に青谷出土の建築材(約6000点)の整理指導も担当している。今夏、三重の研究会で工楽さんが李教授から「3世紀の建築部材が大量に出ている」という情報を得たそうで、まもなく「専門家を連れて行く」ということで話がまとまり、わたしに白羽の矢がたったという次第である。
問題の遺跡は、牙山市にある葛梅里遺跡。青谷上寺地を彷彿とさせる低湿地遺跡で、蛇行する水路からおびただしい数の木器・木材が出土し、そのなかに多くの建築部材が含まれていたのである。今日は時間がないので、収蔵庫の水槽に浸かっている木材をざっと見させていただいた。あとは遺構図をみて、登呂型の平地住居がたくさん建っていた可能性を指摘しておいた。


夜は爆弾酒の洗礼を浴びた。別名タイタニック。ビールグラスの中にウイスキーグラスをいれて、ビールグラスのエッジから少しずつビールを注ぐ。すると、中のウィスキーグラスが、船のように、ゆっくりと浮かび上がってくる。浮いたグラスにスコッチを注いでいくと、まもなく船は沈没。ビールにスコッチが溶け込んで、きついカクテルになるのだが、これを一気のみするのが韓国のならわしだ。
かつて10年ほど前、慶州で爆弾酒を何杯も飲まされ、急性アルコール中毒になって、のたうちまわった経験がある。だから、今回はほとんど飲まなかった。奈文研の先輩のほうは、ぐいっと一飲み。記憶を失った。
- 2005/11/07(月) 22:02:51|
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