御所市の発掘調査現場から近鉄電車に乗っていったん自宅に戻り、テレビを視ていると、小宮悦子が画面にあらわれた。6チャンネルですよね。このまま同じ画面を視続けていると、テレ朝から大阪朝日放送に切り替わって関西版のニュース番組となる。
そうなんですよ、5日の18時17分から朝日放送「NEWSゆう+(プラス)」で、12月
17~18日に取材をうけた纒向と青谷上寺地の建物復元に係わるニュースが5分ばかり流れる予定なんですが、わたしは焦った。だって、自分が出演するテレビを生で視るなんて恥ずかしいことをしたくないから、急ぎ外出の支度をしたのです。じつは、入院している母親が一両日中に退院して特養のショート・ステイに受け入れてもらうことになり、ケア・マネージャーさんとの打ち合わせが決まっていたのです。家内は少しく抵抗しました。「テレビが視たいのよ」という女にわたしは言い聞かせた。
「そんな恥ずかしいことはできないぜ」。
特養で打ち合わせしているころ、おそらく、わたしはTV画面の中にいたはずです。帰宅して夕ご飯を食べ、ごろごろしていると、今度は報道ステーションが始まった。日本海側は凄い雪が降っていて、鳥取市が何度も画面にあらわれ、怯えましたね。これは大変だ。またしても、
命をかけて峠を越えねばならぬのか、と・・・
同時に、大阪の朝日放送から続々とメールが飛び込んできました。放映後の感想を求めるメールなのだけれども、「恥ずかしいから視なかった」としか答えようがありません。まもなく11月分とあわせてDVDを送ってくれるそうだから、「それを楽しみにしています」ともお答えしました。拍子抜けしただろうな・・・
それからまた、深夜の格闘。『
出雲大社の建築考古学-山陰地方の掘立建物-』の全原稿をクリアしてしまうことがこの冬休みのノルマだったんですが、どうしても「まとめ」がうまく書けない。2006年に刊行した『出雲大社』(
日本の美術476号)の最終章に補筆すればよいと気楽に構えていたのですが、500ページを超える大著の結論というのは、やはりそう簡単には仕上がらない。
もう少し苦しみそうです。

一夜あけて、再び特養と連絡をとり、母親の退院日は翌日と決まった。わたしは授業で奈良にはいないので、またしてもケア・マネージャーさんと家族に面倒をかけることになってしまった。で、鳥取に向かって決死の出発!
志戸坂峠を越えたのは夕方5時半ころでしたが、雪はまったくなくて、今度はこちらが拍子抜け。ただし、気温は-1℃との表示があり、どの車もスピードは抑えて走っていました。終着駅であるところの河原インターを降りたあたりから雪が舞い始めた。今回はどうやら「
浜雪」のようですね。大学に着いて、当然のことながらメールボックスへ。たくさん年賀状やら初校(出雲大社)が届いていて、とぼとぼと台車をおしながら研究室に向かう途中、二人の先輩教員とニアミスして挨拶すると、
「あっ、昨日、テレビに出てたでしょ!」
と言われちゃった。やっぱり、悪いことはできませんね。悪事千里を走る・・・
その後、初校の封筒を開封すると、一通の衝撃的な手紙を発見。しばし撃沈状態で、対応に腐心し・・・タクオが挨拶にきたけどほとんど無視して年賀状の返事を書き続け・・・明日の授業の準備をし終えたら、深夜の一時でございます。
窓外に目をやれば、雪が積もっている。でも、たいしたことないな。「まとめ」に再アタックしよう。4年越しの大著を今年は必ず出版します。単著ではなくて、編著ですが、編著であるからこそ気が重かった。でも、出します。近々出ますよ、三部作の最後の一冊。
- 2010/01/08(金) 00:15:51|
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