高麗大学校がこの夏まで発掘調査をおこなっていた忠清南道牙山市の葛梅里遺跡は、原三国~漢城百済Ⅰ期(3世紀)の低湿地遺跡で、折れ曲がる水路の周辺で多数の平地住居跡と高床倉庫跡がみつかっている。そして、水路の中のたまりのような凹み部分から大量の木材が出土した。その部材を今日は一日中、考古環境研究所の収蔵庫で調査し続けた。青谷上寺地遺跡の建築材と比べると、継手仕口が少なく、平地住居の材を矢板に転用したものが多いと思われる。ただし、垂木やかんぬき扉など、高床倉庫の材も含まれている。この材の分析を担当しているのが、日本から来ている庄田さんで、まずは目録(インベントリー)作りを薦めておいた。おなじ仕事を、青谷では茶谷さんが進めているので、両機関が交流すればよいと思った。


夕方5時になって、その庄田さんから、講演をやってくれないかと依頼された。もちろんパソコンを持ち歩いているので、青谷と妻木晩田の講演データはいっぱい詰まっている。7時から、李先生と学生20名ほどを前にして、「山陰地方の弥生時代建築」と題する短い講演をおこなった。質問をたくさんいただいて、ここまではハッピーでした。


その後、朝鮮人参のような薬物?入りマッコリに酩酊し、トランス状態に陥った。何も覚えていない・・・
- 2005/11/08(火) 22:49:32|
- 建築|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0