大中遺跡と兵庫県立博物館 一月晦日。黒猫さんが鳥取城三の丸高等学校の
タウン・ミーティングに出席しているころ、わたしたちは兵庫県立考古博物館まで出かけていました。明石高専主催のフォーラム「地域一帯で実践する集落復元を考える」で、また先生が講演されたのです。
会場となったのは兵庫県立考古博物館は、2007年に開館したばかりのできたてほやほやの博物館です。ホームページ上の写真を見てもわかる通り、モダンな印象、館内は綺麗でピカピカ。そんななかでも、いたるところに壷や甕などの土器や埴輪を模したレプリカが置かれたり、展示内容も見るだけでなく手に取ったり遊んだりできるブースが多いなど、「体験」重視のあたらしいかたちの博物館です。
博物館の敷地は加古郡播磨町の大中遺跡(おおなかいせき、弥生時代中期~古墳時代中期)と隣接しており、そのガイダンス施設を兼ねています。博物館の隣に建っている竪穴住居は最近復元されたもので、今回のフォーラムの主題の一つです。
出張メンバーは、以前の講演会と同じく、先生、タクオさん、エアポートさん、部長さん、そして私。移動手段は車。タクオさんに運転をお願いし(おつかれさまです…)、往きはなんと2時間ほどで会場へ着きました。

博物館に到着後、すこし時間があったので、みんなで館内のカフェにてお茶を飲むことに。
そのカフェはミュージアムショップも兼ねており、お茶がテーブルにとどくまでグッズを見てまわっていました。商品棚には考古学のシリーズ本や、卑弥呼関連の本も。先生たちが書籍の方に注目するかたわら、私はひっくり返すと湯呑みとして使える埴輪や、脱力感あふれる埴輪キーホルダーや、もはやキューピーと言えるのかわからない怪しい顔をしたご当地「古代人キューピー」や(竪穴住居キューピーもありましたが……)……もちろんそれ以外の研究に関係しそうなものも見てましたよ。模型制作キットで「楼観」や「竪穴住居」をつくれるキットが売られていて、「これ、模型制作のときに使えるかも…」などと話しておりました。
さて、カフェで一服したあと、館内を案内していただきました。さきほど紹介したとおり、「参加体験」を重視しておられ、発掘を体験できるコーナーや、古代人の格好ができるコーナーなど、小さなお子さんでも楽しんで考古学に触れられるような展示内容でした。また、アクリル板の下に住居遺構のレプリカを展示するなど、アシガルさんの三の丸高等学校の設計に役立ちそうな素材がいっぱい詰まっていました。また、先生やエアポートさんは行者塚遺跡の家形埴輪(5世紀?)レプリカをじろじろと観察されていました。

大学生となった今でも楽しく体験できて、あまりに興味深かったためみんなに遅れがちになっていましたが、子供のころにこういう博物館へ来ることができていたら、もっと考古学に興味を持っていただろうなあ…なんて。博物館の外では子供たちが火起こし体験をしているところも垣間見たりして、さらに「いいなあ…」と。こんな博物館が身近にあったら素敵ですね。
この館内見学は御所野縄文博物館(岩手県一戸町)の高田館長と一緒に回っていたのですが、見学の終わるころ、館長の体調が良くないことが分かり、薬博士の先生がさっそく2種類の薬を用意されたのですが、昼食を食べられないほどの状態でして、先生はタクオさんにユンケルを2本買ってくるよう指示されました。なんで2本なのかというと、じつは先生も睡眠時間が2時間だったそうで、体力に不安をもたれていたようです。なんでもユンケルの効用は2時間で切れるそうでして、お二人とも飲むタイミングを慎重にはかっておられました。

↑アシガルはこのページの写真をよくみて、校舎の設計に活かしてください(教師)
フォーラム「地域一帯で実践する集落復元を考える」 午後1時からフォーラムがスタート。トップバッターは明石高専専攻科2年の楢原さん。大中遺跡の竪穴住居復元に関する自主建設の取り組みを報告されていました。テーマにもなっている「地域」による復元のプロセスや、その成果についてです。映像機器の調子が悪く、スクリーンに思うようにスライドが表示されないなか、明るく発表されていたのが印象的でした。明石のほうはやはり関西弁なんですね。関西のイントネーションで明るく喋られていて、笑いも起こり、アットホームで楽しい報告でした。竪穴住居を自分達の手で復元しよう…というコンセプトで、すこし加藤家でのセルフビルドを思い出しました(楢原さんは加藤家住宅の第2回ワークショップに参加されています)。。竪穴住居復元と古民家修復でジャンルはやや違うかもしれませんが…自分たちの手で「建設・修復」することで、文化財の保護と活用を目指そう、それで地域の活性化も狙おう、というコンセプトには似たものがあるかな、と。

楢原さんの発表のあと、御所野縄文博物館の高田館長が、御所野遺跡の整備と活用について、講演されました。御所野遺跡復元は浅川先生が担当なされた復元プロジェクトということで、講演中、先生のお名前もたくさん出ていました。焼失住居復元の話題で何度か噂に聞いていた復元した竪穴住居を「燃やす」実験についても、たくさん写真を拝見しました。復元するだけで終わららない、復元建物を活用してどんどん新しい発見をしていく……わくわくする取り組みだなとあらためて思いました。
そしていざ、浅川先生の講演スタート。最初の挨拶がとても印象に残りました。
御所野遺跡は、わたしにやりたい放題やらせてくれた全国で唯一の遺跡です。
わたしが30代後半、高田さんは40代前半でした。あのころは平城宮跡の
大復元事業に反発を覚えていた一方で、御所野のアプローチがとても新鮮でした。
その高田さんがこのたび還暦を迎えられて、まもなく定年退職されると聞き、
馳せ参じた次第です。今日は、高田さんの退官記念講演を聴講しにきました。
そういう気持ちでこのフォーラムに臨んでいます……

講演タイトルは「纒向遺跡大型建物群の復元-青谷上寺地遺跡出土建築部材による応用研究-」でした。今回は、推定「卑弥呼の館」という言葉を使いたくなくて、タイトルを学会風にわざと難しくしたのだそうです。しかし、あとで先生は反省されていました。「失敗だったかもしれない」と…。お客さまの入りが会場の6割程度だったのです。いつも満席で話されていますからね…。やっぱり刺激的なタイトルが必要なのでしょうか。先生のパワーポイントは、回を重ねるたびに進化していきます…。とくに今回は石ノ森章太郎の『マンガ日本歴史』が最初と最後に挿入されていたのが印象的でした。そして、いつものことですが、例の全国紙一面を取り逃がした件では、どっと笑いが。
ただ、やはり先生は反省されていました。今回は青谷の遺跡概要から始まる県外バージョンのパワポで、スライドの枚数が増えすぎてしまい、講演時間を15分もオーバーしてしまった。そして、体調のせいか、話にリズム感が足りなかった、と…。
講演が終わるとあいにくの天気…。ここで先生とは別行動になり、4人で帰鳥の途へ。部長さんに運転していただきました。
運転しなかった組(私、エアポートさん)は、いざ、どちらがブログを書くかジャンケン…私に決定。そんなわけで、ブログを書かせていただきました、きっかわでした!(3年 きっかわ)
- 2010/02/04(木) 00:00:25|
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