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鳥取環境大学 環境情報学部 建築・環境デザイン学科 浅川研究室の記録です。

慶州巡礼(Ⅱ)

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吐含山 石窟庵

 特別講義2日目(2月15日)、早朝の気温はマイナス5度。ベッドの中にいても冷気が体をなでてくる。ホテルの前にある庭園の池は全面が薄い氷に覆われていた。慶州は鳥取と似たような気候と聞いていたのだが、鳥取で池が凍ったのはとんと見たことがございません。軽装だったかなと少し後悔した一日であった。この日は午前中に石窟庵、仏国寺、高麗青磁窯元、天馬塚をめぐり、午後からは良洞民俗村、玉山書院を参観し、釜山に移動した。どれもこれも興味深いものばかりであったが、今回は黒帯くんの卒業研究に関係が深い「石窟庵」に焦点をあてておこう。

DSC073691.jpg 進硯洞吐含山の山麓に所在する石窟庵は、統一新羅の景徳王10年(751)、当時の宰相金大城によって創建された。建立当初は「石仏寺」と称されていたが、儒教の浸透や李氏朝鮮時代(1392~1910年)の仏教弾圧によって廃墟と化し、長きにわたってその存在が忘れ去られていた。日帝時代の1913年に解体修理がおこなわれ、1961年に更なる修復工事がなされ、1995年、仏国寺とともに世界文化遺産に登録された。
 昨日に続き、本日も快晴で気持ちがいい。ガイドの李さんによると、進硯洞が慶州で一番空気が綺麗なところだそうだ。一昨日まで慶州は雪が降っていた。境内は15cmほど積雪しており、午前のやわらかな陽光が参道を美しく輝かせていた。一柱門から山肌に沿った参道を1kmほど進むと、少し開けたところに石窟庵がある。今は春節のためか提灯が吊るされ、境内はにぎやかな雰囲気に包まれている。時計の針は8時半をまわっただろうか、朝早くにもかかわらず境内には多くの参詣者が、手を合わせながら参道を歩む姿がみられた。
 いよいよ石窟庵に入るわけだが、境内の石段を上がると、石窟の前には礼堂らしき木造建築が付随しているのがみえた。これを見て「しめた」と叫ばんばかりに、メモ帳にその形状をスケッチした。というのも、昨夏の中国山西巡礼の際に訪れた雲岡石窟とよく似ているように思えたからだ。これは黒帯くんの卒業論文における石窟寺院の分類のうち、岩窟懸造複合型に分類される。さらに細かく分類すると、B-1型、つまりは「木造建築=礼堂(外陣)+石窟(内陣)」という役割分担の顕著なタイプに値する。ひと言で言うならば、「内陣礼堂造」である。


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 興奮冷めやらぬうちに礼堂に入ると、これまで見た窟洞とは異なる空間に再度驚かされた。噂には聞いていたが、石窟庵はインドや中国の石窟寺院とは異なり、自然の岩盤を掘削したのではなく、花崗岩の石材を積み上げ、上に土を盛って造り上げた人工の石窟である。一番奥を、円形平面を持つドーム状の主室とし、方形の前室を扉道がつないでいる。前方後円墳にも似たこの空間構成は、古代中国の「天円地方」の宇宙観を反映したものなのか。いや、ここは石窟寺院なのだから、むしろ古代インドの宇宙観が投影しているにちがいない・・・黒帯くんの考察に沿って推測を逞しくするならば、わざわざ石材を積み重ねてまで作り上げた石窟庵こそ、統一新羅の時代にインドや中国の石窟寺院に対する憧憬があった証しになるではないだろうか。
 ガイドの李さんにその推論を確かめるために、それとなく礼堂のことを訊ねたところ、礼堂は後世の建築で、1961年の保存工事の際に石窟保護のために付加されたらしい。それを聞いてガックリした。実際の礼堂は石窟内部の前室・扉道であり、僧侶は木造建築内部ではなく、石窟内部の前室で読経をおこなう。
 しかしながら、石窟内部の前室と主室を結ぶ扉道の両脇にみられる八角の石柱は、雲岡や天龍山の石窟寺院でみた木造建築の表現のように思われた。もしかしたら、石窟庵の場合、ほんらいは木造建築であるはずの礼堂までも、石材を用いて造った「石造礼堂」ではないだろうか。あるいは、「墓」の構造が石窟の構造に影響を与えているのかもしれない。

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 今回の特別講義では日程に含まれていなかったが、慶州南郊の南山には多くの岩窟型仏堂があることを慶州博物館の展示で知った。日本に「石窟庵」のような建築物は存在しないけれども、南山の岩窟型仏堂と山陰の岩窟型仏堂はよく似ている。今回、南山の岩窟と石仏をみることができなかったのは非常に残念である。昨日の報告でも述べたように、出雲國風土記の国引き神話には、新羅の土地を出雲に引き寄せたという神話が記されている。大山と孝麗山の高さ比べの伝説も朝鮮半島からの渡来伝承の一つだろう。日本海を介して対岸にある山陰と新羅の直接的な交流があったのかなかったのか。岩窟型仏堂はそういう文化伝播の一つとしてはたしてとらえうるのか。自分の修士研究になる可能性なきにしもあらず、という予感をぬぐえないまま帰国の途についた。(Mr.エアポート)

  1. 2010/02/23(火) 00:00:11|
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