長崎県の北部に位置する対馬で整備事業が進められている対馬藩主宗家墓所に、鳥取藩主池田家墓所と同じ凝灰岩で造られたものがあるという話を聞き、宗家墓所で実施された技法が、鳥取藩主池田家墓所の整備でも役立つのではないかと、以前より対馬訪問計画を練っていました。その計画が11月8日(火)ついに実現しました。
長距離バスの揺れに耐え、福岡に到着したホカノとピエールは、福岡空港発の飛行機に乗り、対馬の地を踏んだ。



飛行時間は約30分。搭乗までの待ち時間の方が長いくらいだった。
対馬市教育委員会厳原事務所では、生涯学習班のOさんが史跡 対馬藩主宗家墓での整備事業について、丁寧にご説明してくださった。今回、鳥取県文化財課の方の助力もあり、整備事業についての説明をしていただけ、とても勉強になりました。
対馬藩主宗家墓所では、玉垣倒壊に至る経緯のほとんどが台風によるものらしく、整備が行われた真常院殿(28代)藩主墓玉垣でも、平成15年の台風により、折れた周辺樹木の枝が、玉垣が倒壊を招いたということでした。用意していただいた簡単な図面を見ながら、整備事業の説明を受けた後、実際に宗家墓所がある菩提寺「万松院」へと向かった。宗家墓所は、歴代の藩主19代から32代までの墓石がならぶ場所で、昭和60年2月18日に国史跡の指定を受けています。その規模もさることながら、「百雁木(ひゃくがんき)」と呼ばれる123段の大石段は印象深く、苔生した周囲の石垣にも歴史を感じさせる雰囲気がありました。また、史跡内には、幹囲が最大7m、樹高は35mにもなる大杉が、その存在感を主張していました。台風の被害で倒壊した真常院殿(28代)藩主墓玉垣は、すでに整備を終えており、静かにそこに立っていました。

周囲には、大杉の他にもたくさんの大木があり、台風により、この枝が折れるとはとても思えないくらいでした。整備された玉垣は、近くで見ると何箇所か繋ぎ目のようなものが確認できました。倒壊により、2材に分断した柱や笠石もあり、修復の際には分断した石材を接合する作業が行われたそうです。石材の接着には、エポキシ系の接着剤を用いる他に、石材内部にステンレスピンを挿入することで、より強固な接合をしていました。宗家墓所玉垣には花崗岩が用いられており、池田家墓所の玉垣とは石材が異なるのですが、非常によく似た構造をしており、補強の方法が参考となるだけでなく、玉垣の他にも、石垣塀・燈篭の修復を行っているため、多くの点で勉強となり、対馬市教育委員会の々を始め、多くの方に感謝しています。今回、訪問した宗家墓所での修復技法を参考として、鳥取藩主池田家墓所に合った修復を考えていければと思います。

また、対馬には、今回紹介した対馬藩主宗家墓所の他にも、石積みの防火壁や金石城跡といった文化財が密集しています。そして、新鮮な海の幸も多く、ぜひもう一度訪問してみたい場所でした。 (ホカノ・ぴえーる)

百雁木(ひゃくがんき)

諌鼓(カンコ):君主に対し諌言しようとする時打ち鳴らすつづみ

接合された柱
- 2005/11/08(火) 21:15:19|
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