来たる4月3日に島根県立古代出雲歴史博物館で講演することを
2月21日にちらりとお伝えしましたが、去る3月19日、国の文化審議会が開催され、出雲大社境内遺跡出土品(宇豆柱、心御柱、鉄器、土器)を重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申されました。これをうけて、わたしの講演会の正式名称は「出雲大社境内遺跡出土品重要文化財答申記念・発見10周年記念講演会」と決まりました。この講演会にはついては、21日の産経新聞に広報があったらしく、ある知人からこんなお便りが届いています。
今朝の産經新聞で、先生が四月三日古代出雲歴史博物館に於て宇豆柱發見十周年
記念として「出雲大社の建築考古學――掘立柱建築から見た神社本殿――」と
題する講演をなさる事を知りました。さりながら、此の日は、私が初回(平成三年)
の立上げから關はつて來た、袋川を挾む川内(かはうち)商店街と川外商店街との、
更には地元商店主のみならず廣く祭大好き人間の、氣持ちと行動の上での一體化を
象徴する大事な協働事業である「櫻祭」初日につき、缺席致します。
度重なる御無禮、寛恕賜り度く。
29日には正式な広告が山陰中央新報に掲載されると主催者から連絡があり、昨日、プロフィール等の情報をお送りしたところです。今回の講演は、いままさに校正のさなかにあり、5月中の出版をめざしている『出雲大社の建築考古学-山陰地方の掘立柱建物-』(同成社)の内容と昨年11月に復元した纒向遺跡大型建物の復元をミックスした内容になるでしょう。いったい両者になんの関係があるのか、不思議に思われるかもしれませんが、わたしが重視しているのは「庇」とその省略形としての「縁」です。庇や縁の有無によって、建物はどのようにイメージを変えるのか。それが神社本殿の成立とどのように係わっているのか、について独自の見解を示そうとするものです。この問題は、大国主命が国譲りの交換条件として要求する「天之御舎(アメノミアラカ)」や「天皇之御舎(スメラミコトノミアラカ)」の解釈とも関連してきます。まだ、パワポに手をつけていません。鳥取では、エアポート君が9本柱建物の復元図を複数描きつつあるはずですが、さて間に合うでしょうか? 入学式前日の講演だけに不安もあるのですが、多くの皆様のご来場をお待ち申し上げます。
出雲大社境内遺跡出土品重要文化財答申記念・発見10周年記念講演会 1.日時 2010年4月3日(土) 13:30~15:00
2.会場 島根県立古代出雲歴史博物館 講義室(定員100名)
3.講演者 浅川 滋男
4.演題 「出雲大社の建築考古学 -掘立柱建物からみた神社本殿」
- 2010/03/26(金) 00:00:38|
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