
早いもので、4月も末日になりましたが、社会人入学で大学院生になって1ヶ月が過ぎようとしております。そこで、私タクオはこのたび、ペンネームを「ザ・グレート・カブキ」に改称することとなりました。なぜかって?いや、実は「そっち」のほうに目覚めてしまいまして・・・どうです、なかなか艶っぽいでしょ!?なんて、大学院生にもなって初稿からくだらない事を書いてしまっておりますが、4月29日(木)に鳥取市賀露町でおこなわれた「ホーエンヤ祭」に私とアシガル君の2名で参加して来ました。上の写真はその際にお化粧して頂いたものです。
もともとこの日は、大学院の授業が予定されていたのですが、私とアシガル君が祭りに参加するため、休日ではありますが、祭りの見学をもって授業となりました。それでは、レポート致します。
ホーエンヤ祭は正式名称を「賀露神社春季例祭」といい、2年に一度おこなわれる賀露神社の春季例大祭の神幸祭である。社伝によれば賀露神社の祭神である「吉備真備命を鳥が島から奉曳(ほうえい)し、お慰めしたという故事に因んだもの」とされる。
祭りは、町内をめぐる「神幸行列」と、神様(神輿)を台船に乗せて海を渡る「海上渡御」が祭礼の中心的な神事として位置づけられている。行列は、麒麟獅子舞・子供神輿・大名行列・幟武者・大神輿の順番で賀露神社を出発する。これを「オタチ(御立)」といい、町内を練り歩いた後、三区の御旅所で台船に乗る「オフナウツリ(御船移り)」をおこない、六区の御旅所にて着岸し「オフナアガリ(御船上がり)」がおこなわれる。最終的には行列は賀露神社に戻るが、これは「オミヤイリ(御宮入)」と呼ばれる。

今回、大学時代に賀露でボランティア活動をしていた縁もあって声をかけていただいたのだが、その内容については知らされていなかった。とりあえず把握していたことは、私は「船に乗る」ことと、アシガル君は「神輿を担ぐ」ことだけである。
当日、午前中に集合場所へ行ってみると、机にはお酒が並べられており、一緒に参加される地元の方々はすでに赤ら顔。聞くところによれば「飲まないとやってられない役」との事。そして祭りに参加するころには冒頭の顔になっていた・・・それでも、思いのほか観客の皆さんには好評だったのか、カメラマンの方に写真を求められることも。役回りについては、海上渡御の際に台船とともに海上行列を構成する小船に乗ることだったのだが、この日の天候はどうやらよろしくなかったようで、オールだけでは風と波の影響で思うように操縦できない。思わぬところで自然の驚異を知ることとなり、結局、動力のついた漁船に曳かれて海上渡御を無事に果たすことができた。この日、アシガル君とは完全に別行動であったため、その動向を知る由もなかったが、本人の聞くところによれば一日中、神輿を担いでいたようである。かなり堪えたようだが、言わずもがな、写真が物語っている。
ところで、祭りを見学されていた住民に聞けば、隔年におこなわれるホーエンヤ祭に対して、同町内の隣地区では例大祭を3年に一度、賀露神社の例祭と同じ日におこなうという。その開催周期の違いを疑問に感じていたのだが、教授に問うたところ、漂海民と定住漁民の対峙関係があったのかもしれない、という。漁場を求めて岩礁を移動する漂海民と先住漁民とのあいだで漁場の利権争いによりしばしば対立が生じており、現在は同一の漁村集落に居住する構成員の出自が異なっているのかもしれない。
ASALABでは今年度、ジオパークの文化的景観に関する研究を進めようとしている。地質学・生態学だけではなく、沿岸漁民と山陰海岸の関係=文化に注目し、その表象としての景観を評価しようという企画である。この一環として、浦富海岸に所在する漁村の調査も視野に入れており、今後、私の住む岩美町網代やその隣の田後などの祭、神社の調査もおこなっていく予定である。
最後になるが、私は今年度より大学院に入学した。一度は大学を卒業し、また浅川研究室に戻ってきたのである。学部生時代は古民家の保全手法について研究し、社会人となって工務店・設計事務所で木造建築の設計施工に携わってきた。しかし、「点」単位での実務の重要性を認識しつつも、中山間地域での過疎化は進んでおり、「面」単位での保全活用が急務になっていると感じている。そこで修士課程では、とくに「限界集落」と「文化的景観」についての知識を深め、鳥取に貢献できうる能力を身につけたいと考えている。(タクオ)
- 2010/05/01(土) 12:04:48|
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