
こんにちは、轟です。
5月28日の駐車場サッカーで先生の股を射抜いた後、僕は鳥取駅から米子へと帰省しました。なぜかと申しますと、翌日の29日に毎年恒例の「田植え」が轟家で控えていたためです。29日、朝は雲も多く、日が当たらないし、風が強くとても寒かった。それでも、少しの晴れ間で、田んぼ越しに見える「大山」はきれいに写っていました。
午前 早朝、僕が寝ている間に苗は田んぼに運び込まれます。そして、父が機械で作業を始める。機械を使った田植えは父がこなします。その間、僕はなにをしているかというと、基本的に植え終わった苗箱をひたすら洗います。一応、苗箱は借り物なのできれいに洗って返却します。実はこれがかなりの重労働でして、中腰で50枚以上の苗箱を洗い続けます。一番体にくるんです。この作業は午後まで持ち越すことになります。
午後 残った10枚程度の苗箱を洗い終えると、やっと田んぼに入るわけです。午後は「植えなおし」。機械で田植えをしても、途中で抜けているところが出てくるので、最後は人の手で。苗が植えれていないところや、1本だけでへニャへニャしたところとか、そんなところに苗を植えていき、苗の列を完成させるのです。この作業を家族総出でおこないます。1人が5本の苗の列をカバーしながら往復する。単調ですが、うまくこなせば、3時間程度で終わります。ただ、この作業を適当にしてしまうと、風で苗が倒れたり、腐ってしまったりするので手は抜けません。夕方まで「植えなおし」をして、やっと田植えは終わります。

ちなみに、我が家の田んぼでも1枚で「減反(げんたん)」がおこなわれています。「減反」とは米の生産を抑制するための、戦後の日本における、米の生産調整を行うための農業政策です。米作農家に作付面積の削減を要求するため、「減反」と名づけられました。これは米の生産を抑制するための政策であるため、「減反」であまった部分は、里芋とかネギとかの栽培に使ってもいいのです。実際この政策が農家に打撃を与えたいるのかどうか、まだ僕には分かりません。ただ一つ、休耕田の増加に影響しているのも、また事実です。

そういえばタクオさんをお誘いしたのですが、「来週なら米子に行くのになぁ」と残念そうにしておられました。僕の大学生活での「田植え」はこれが最後になるでしょう。研究室でも休耕田の再利用、始まるといいですね。(轟)
↑休耕田復活は鳥取県に課された最大のミッションです。上は参考映像。
- 2010/06/01(火) 12:55:58|
- 景観|
-
トラックバック:0|
-
コメント:0